Johannes Vermeer

ヨハネス・フェルメール

オランダ デルフト出身

1632-1675

バロック美術

 


 

 

 

”真珠の耳飾の少女”

1665-1666年

マウリッツハウス美術館所蔵

 

 

 

 

 

 

フェルメールはレンブラントと並び称されるオランダ美術の代表画家です。

しかし、そうであるのにも関わらず彼の存在は長い間忘れ去られていました。

今の彼の評価は1886年にドレ・ビュルガーによる発掘の賜物です。

 

彼自身の少年期や絵画修行に関しての記録は一切なく、また現存する作品も36点と極少のため、今も尚謎のヴェールに包まれています。

彼に関する少ない資料からによると、父親は「Flying Fox(空飛ぶ狐)」という名の民宿を経営しており、そこには多くの画家たちが出入りしていたようです。

それは彼のその後の制作活動に多大な影響を与えました。

彼自身もまたこの民宿を父親から引き継いで、息をひきとる最後のときまで経営しています。

 

また、彼は生前から画家としての評価は高く、当時はかなりの名声を得ていました。

周囲の期待も相当のものだったと言われています。

 

しかし、それにも関わらず、彼の家庭は財政が逼迫していました。

それは彼が10人以上の子供を持ち、高価な画材をふんだんなく使用していたためです。

 

彼が制作した絵画に見られる鮮やかな青色は「フェルメール・ブルー」と呼ばれ、ラピスラズリを原材料とした「ウルトラマリンブルー」という絵の具でした。

当時ラピスラズリは金よりも貴重なもので、その絵の具は通常の青の絵の具の百倍の値段もしたのです。

 

フェルメールは43歳の若さで、多額の借金と妻と8人の子供を残してこの世を去ります。

彼の妻のカタリーナ・ボルネスは、負債を整理し、生活のために売った26点の作品を買い戻しました。

 

しかし、1696年には22点の作品が競売に出されてしまいます。

そしてその作品とともにフェルメールの名は忘れられていったのです。

 

彼は生涯生まれ故郷のデルフトを出ることはなかったといわれています。

 

 

 

<ヨハネス・フェルメールの作品>

牛乳を注ぐ女

1658年−60年

アムステルダム国立博物館

天秤を持つ女

1663年−64年

ワシントン・ナショナルギャラリー

真珠の首飾りの女

1662年−65年頃

ベルリン国立美術館

真珠の耳飾りの少女

1665年−66年

マウリッツハウス美術館

少女の頭部

1666年−67年

メトロポリタン美術館

信仰の寓意

1671年−74年

メトロポリタン美術館


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