|
アンリ・ルソーはパリ郊外の間接税務局に勤める下級官史でした。
彼はそこで20数年間勤務した後退職し、バイオリン教師をしながらアマチュア画家となります。
彼は独学で絵を学び、税関を退職した後は、困窮極まりない生活を送ることになります。
画材店からの請求が滞ると自身で描いた絵で清算をしていました。
しかし店はその彼の絵を飾ることなく、キャンバスの再利用のために絵を洗い流してしまったと言われています。
彼は1886年からアンデバンダンに出品し、終生出品し続けますが、彼の画風は当時の画壇では異質とされ敬遠されました。
出品された絵は、新聞や雑誌から稚拙と酷評され、
「この画家には何もない。科学も、芸術も、思想も、研究も、努力も」
と、辛辣な批判をされてしまいます。
また、私生活も幸薄いものでした。
最初の妻クレマンスが死亡すると、生まれた子供も幼くして亡くなってしまいます。
その後、彼は再婚しますが、その二番目の妻ジョゼフィーヌにも先立たれてしまうのです。
そんなルソーを認めたのはあのパブロ・ピカソです。
ピカソはアポリネールらと中心になり、パリの「洗濯船」で「アンリ・ルソーの会の夕べ」を開きました。
その会には多くの画家や詩人らが集まり、ルソーを取り囲んで集まり、彼を称える詩が披露されたとのことです。
そして、酷評され続けた彼の絵画は、後に、
「一見、稚拙に見える技法を用いながら完成度と芸術性が高い」
と賞賛されるまでになるのです。
1905年、薄倖の善良な画家は肺炎でこの世を去ります。
<アンリ・ルソーの作品>
|