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アントニー・オーガスタス・フレデリック・サンズは1829年にイギリスのノリッジに生まれました。
彼はその故郷のノリッジ・グラマー・スクールで教育を受け、その後同地の公立のデザインスクールで美術を学びます。
1851年に彼はロンドンへ移り、そこで初めてロイヤル・アカデミー展に作品を出品します。
1857年にはラファエル前派の画家であるミレイとホルマン・ハント、そしてロセッティを登場させた「夢魔」という作品を発表しました。
これがきっかけとなって彼はロセッティと親交を結ぶようになります。
当初は挿絵画家として活躍していましたが、1850年代から60年代にかけては、聖書や神話、そして文学を主題とした油彩画を描いていくようになります。
これらの作品はロセッティが開拓した女性肖像画や人物習作を基盤にしているため、彼の影響が顕著に表れています。
サンズのデッサン力は数多くの画家の中でも一際群を抜いていました。
彼の描く素描は、熱にうかされたような想像力が際立って画面全体に広がっており、彼自身「空想画家」と称されて非常に絶賛されました。
また彼はそんな自分のデッサン力の才をあますところなく発揮し、肖像画家として成功を治めます。
特に唯美主義運動を支援する貴族・文人・芸術家たちの間で男女を問わず人気がありました。
彼の素描は細部まで正確にモデルの容貌を記録しながらも、同時に個性もきちんと捉えていたからです。
そんな「空想画家」としての彼の制作活動にも終焉が訪れます。
彼が1886年に発表した作品「メディア」が、ロイヤル・アカデミーの選考委員から拒否されてしまったのです。
またこの作品は審美主義のグループに属する彼の支援者たちも大いに落胆させました。
「空想画家」としての彼の活動はこの作品を持って幕を閉じてしまったのです。
私生活においては、ロセッティとは親しくしており、彼らはしばらくの間、チェルシーのテューダー・ハウスに一緒に住んでいました。
しかしその後彼と徒歩旅行に出かけますが、喧嘩別れをしてしまいます。
画家としての活動も親友との交流も悲しい結末を迎えてしまった彼ですが、家庭生活には恵まれます。
彼は女優であったメアリー・ジョーンズと家庭を持ち、生涯において彼女との間に9人の子供をもうけました。
<アントニー・オーガスタス・フレデリック・サンズの作品>
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