Dante Gabriel Rossetii

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

イギリス ロンドン出身

1828-1882

 ラファエル前派

 


 

 

 

 

”プロセルピナ”

1874年

テート・ギャラリー所蔵

 

 

 

 

 

 

ロセッティを語るのに忘れてはならないのは、偉大な詩人ダンテの存在です。彼の詩篇「新曲」や「新生」はあまりにも有名ですよね。

ロセッティは優れた詩人でもあったため、ダンテの詩篇の翻訳も手がけています。

詩人としての彼の才能は非常に卓越していて、若き日には文学と芸術の選択を迷っていたといわれています。

日本においても、明治末期に、彼の詩が若者の間でもてはやされました。

さて、偉大な詩人ダンテですが、彼には永遠の恋人といわれる女性がいました。

その女性の名はベアトリーチェ。

ダンテに心酔していたロセッティは、自然とベアトリーチェの面影を探し求めます。

そして彼が見つけたベアトリーチェ、運命の女性は二人いました。

一人は代表作の一つとなった「ベアタ・ベアトリクス」のモデルのエリザベス・シダル。

もう一人はこれもまた代表作の一つ「プロセルピナ」のモデルのジェーン・バ・デン。

エリザベスはロセッティが22歳のとき出会います。

当時彼女は帽子屋の店員をしていました。

二人は恋に落ち、一緒に暮らすようになります。

しかし、あるときロセッティは17歳のジェイン・バーデンとまた運命的な出会いをするのです

ロセッテイはとジェインは互いに思いを寄せますが、彼にはエリザベスという婚約者がいます。

結局ロセッテイは長年の婚約者であったエリザベスと、ジェインは他の男性と婚姻を結ぶことになります。

しかし、二人の恋愛は終わらなかったのです。

ロセッテイはエリザベスと結婚しながらも、他の男の妻となったジェインを思い続けました。

これはロセッティとエリザベスの夫婦関係を悪化の要因となりました。

生来虚弱で神経質的であった彼女は、ついに大量の薬を服用して自殺同然の死を遂げてしまったのです。

エリザベスの死とジェーンへの思慕に苛まされたロセッテイは、心身を患い、1872年アヘンチンキで自殺を図ります。

彼は一命をとりとめますが、その後も酒と薬に溺れながら、その十年後にこの世を去りました。

彼のモデルとなった女性はいずれも類まれな美貌でしたが、彼はモデルに美以上のものを求めました。

そして画家とモデルという関係以上の関係を望み、そうでなければモデルして描こうとしませんでした。

彼が女性たちに求めたのは、はるか昔の偉大な詩人が愛した「永遠の女性」ベアトリーチェの偶像だったのです。

 

  

<ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの作品>

ベアタ・ベアトリクス

1864年−1870年

テート・ギャラリー

モンナ・ヴァンナ

1866年

テート・ギャラリー

あずまやのある草原

1871年−1872年

マンチェスター市立美術館

プロセルピナ

1874年

テート・ギャラリー

 


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