Arthur Hughes

アーサー・ヒューズ

イギリス ロンドン出身

1832-1915

 ラファエル前派

 


 

 

 

”オフィーリア”

1852年

マンチェスター市立美術館所蔵

 

 

 

 

ラファエル前派の中心的存在であったジョン・エヴァレット・ミレイは、シェイクスピアの物語を主題にした作品を多く描いた画家です。

彼の代表作品「オフィーリア」は、ヴィクトリア朝最高傑作品として今日も尚高く評価されています。

アーサー・ヒューズはそのミレイと同様の主題を用いて腕を競い合った画家でした。

ヒューズはとりわけて物語における恋人たちの逢瀬や別れの場を主題にして描いたミレイの作品をとりわけ賞賛していたそうです。

彼もまた「オフィーリア」という作品を描いています。

この作品は1852年にロイヤル・アカデミー展に出品され、彼の代表作の一つとなりました。

彼はロイヤル・アカデミー展に継続的に作品を出品し続け、それらは当時から好評を得ていました。

また創作活動以外では、ラファエル前派の第二派のサークルである「ホガーズ・クラブ」の創設者の一人という役割も担っています。

それにも関わらず彼は生涯一度もアカデミーの正会員どころか準会員にも選出されることはありませんでした。

一体何故なのでしょうか?

それは彼が家庭生活を最優先する人物であったため、他の芸術家からとは一線を画していたからと言われています。

物静かで穏やかな性格の持ち主だったようです。

そんな彼の生涯はどのようなものだったのでしょうか?

 

ヒューズは1832年にイギリスのロンドンで生まれ育ちました。

1846年にはサマセット・ハウスのデザイン・スクールでアルフレッド・スティーヴンズの指導を受けた後、ロイヤル・アカデミー美術学校に奨学金で進学します。

そして1849年には17歳という若さでロイヤル・アカデミー展に初出品しました。

その翌年、彼はラファエル前派が発行した「ジャーム」という雑誌に深い感銘を受けます。

その後、彼はミレイやロセッティ、ホルマン・ハントそしてフォード・マドクス・ブラウンらのラファエル前派と知り合い、彼らから派の様式の影響をもたらされます。

その影響を受けた最初の作品が「オフィーリア」なのです。

また彼は1855年から挿絵の仕事も手がけるようになり、挿絵画家としても成功を治めます。

彼はテニスンやクリスティーナ、そしてロセッティの詩集のための挿絵も創作しました。

生涯において彼は750枚もの挿絵を描いています。

1857年にはロセッティに請われてオックスフォード大学学生会館討論室の壁画制作にも参加しました。

彼は1915年に亡くなるまで絵画制作を続けますが、晩年は残念なことに誌的喚起力や技術的完成度のレベルが落ちてしまいます。

初期の作品と比較すると、誰の目から見ても彼の技術の衰退は明らかでした。

ですが、それでも彼の描く世界の魅力は損なわれることはなかったようです。

 

 

<ア-サー・ヒューズの作品>

オフィーリア

1852年

マンチェスター市立美術館所蔵

4月の恋

1855-56年

テートギャラリー所蔵

心のいたみ

1868年

個人蔵

 


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