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ゴッホは37歳という若さでその生涯を終えています。
その彼の人生は怒涛の荒波の中を渡るかのように凄絶きわまるものでした。
彼はオランダのフロートに生まれた後、ハーグ、ロンドン、パリ、ドレンティ、ヌエーメン、アントワープ、アルル、サン・レミ、オーヴェールと生涯にわたって
さまざまな地を踏みしめました。
彼は、27歳の時にはじめて画家になることを志します。
画家を志す以前は中学校中退、勤務先の解雇、布教活動の断絶等、挫折の繰り返しでした。
病的なほど気難しく繊細な神経の持ち主だったため、他とのコミュニケーションを図ることが困難であったのでしょう。
私生活もまた大荒れに荒れていました。
婚約者のいる下宿先の娘に恋をしたり、いとこの未亡人に求愛を拒絶されたり、子持ちの娼婦と同棲したり、モデルを妊娠させてり、
恋仲になった隣家の娘服毒自殺したりと、かなり凄まじいものでした。
極めつけはゴーガンとの同棲生活の破綻です。
当時彼は、アルルに住んでおりました。
アトリエで画家と共同生活をすることを夢見ていた彼は、ゴーガンと一緒に暮らし、共に制作活動をするようになります。
ですが、その夢はたった数ヶ月で敗れ去りました。
同居生活相手に選んだ画家ゴーガンと激しい対立をしたのです。
二人ともが強烈な個性も持ち主であったがためになした災いでしょう。
ある日、ゴーガンがゴッホが描いた自画像を見てこういいました。
「耳の形がおかしい」
それを聞いたゴッホは自ら自分の左耳朶を切り落とし、なんとそれを女友達に送りつけたのです。
その後、ゴッホは神経症にかかり、発作を起こすようになったため、ゴーガンとの共同生活に終止符を打ち、アルルを離れることのなりました。
そしてサン・レミの精神療養院の中で過ごすようになります。
ですが、その後も激しい発作に襲われ、錯乱状態が続きました。
彼は施設を出て、オーヴェールに行きます。
しかし、そこで、長年物資救援をしていた実の弟とも関係が悪化してしまいます。
ゴッホは自分の人生の重みに耐え切れず、ついに銃で自分の胸を打ちぬき、自らその生涯を閉じてしまったのです。
<フインセント・ファン・ゴッホの作品>
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