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イギリス絵画をルネサンスの巨匠・ラファエロが確立した絵画の様式よりも以前へ戻そうとするグループが19世紀中頃に誕生しました。
このグループは「ラファエル前派」と呼ばれ、この時代の一世を風靡します。
写実的な描写で美を徹底的に追求した彼らの絵画は、劇的かつ浪漫的で当時の美術界に絶対な人気を誇りました。
ですが時代の流れと共にこのグループは消滅し、やがて美術界の主流から置き去りにされていきます。
そんな中、この派を振り返り、彼らが用いた鮮やかな色彩と緻密な描写、そして強烈で意味の深い主題を復活させた画家がいました。
それがこのフランク・カドガン・クーパーです。
彼はヴィクトリア朝後期の画家の一人であり、文学や物語的主題の具象画の伝統を20世紀中頃まで守り続けました。
描かれた作品からわかるように、クーパーは豪華な装飾を施した布地と髪や肌のテクスチャーをとりわけ好んだ画家でした。
またそれを表現できるだけの素晴らしい技術も持ち合わせていたのです。
当時はモダン・アートが台頭してきた時代でした。
彼はその近代美術には無関心であり、時代錯誤の非難を恐れずに自分の求める主題で絵画を制作し続けました。
そんな彼は美術史上では「ラファエル前派の最後の継承者」と位置づけられています。
一体彼はどのような生い立ちでどのような生涯を送ったのでしょうか。
クーパーはイギリスのノーサンプトンシャー州で作家の息子として生まれ育ちました。
成長すると画家になるべく、セント・ジョーンズ・ウッド・スクールとロイヤル・アカデミー美術学校へと通います。
彼はこのロイヤル・アカデミー時代に、ラファエル前派の芸術を記念する回顧展を見て、彼らの作品に深い感銘を抱きました。
これが彼のラファエル前派画家としての一歩目となります。
彼は1901年に作品「死刑の出頭命令に応じる貴族、パリ、1793年」をロイヤル・アカデミー展に出品し、大成功を治めます。
このとき彼はまだ24歳でした。
その翌年にはイタリアへと旅し、その後はアメリカ人の画家エドウィン・オースティン・アビーのアトリエで仕事をはじめます。
そして1905年には作品「天国から輝く白さをたたえた衣を受け取る聖アグネス」がチャーリー基金に買い上げられました。
1907年には「さすらいの吟遊詩人に変装した悪魔が慈悲深い修道女たちのもてなしを受け、彼女たちは愛の歌を歌う」という奇妙なタイトルの作品を発表します。
多くの人はこの作品を冒涜的とみなしましたが、それでも芸術性が高く優れた作品と評価され、これによって彼の名声は不動のものとなりました。
1910年には国会議事堂の東廊下6面の壁画制作の依頼もされます。
広範に作品を公表したクーパーですが、なかでもロイヤル・アカデミー展にいたっては、1899年から亡くなるまで約60年間出品し続けました。
創作活動に比例して地位も上昇しています。
1907年には、ロイヤル・アカデミーの準会員に選出され、1934年には正会員になるまで至りました。
彼は同時代の動向には全くの無関心で、無知ですらあったけれども、己の信念を突き通し画家として最高の栄誉を手に入れたのです。
<フランク・カドガン・クーパーの作品>
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