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詩情溢れる森や湖の風景画を多く描いたことで知られるカミーユ・コローはフランスの代表画家の一人です。
彼はバルビゾン派と見なされていますが、実は写実主義でもあり印象派でもありました。
それは理想化された風景ではなくパリ近郊のありふれた風景を明るい色彩と光を入れてキャンバスに描き出した画家であったからです。
この手法は後の印象派に大きな影響を与えました。
折りしも時代は写実主義から印象派とへと主流が移るときであり、彼はその中間に属していたと言えます。
彼は最後の写実主義、そして印象派の先駆者となった画家だったのです。
美術史上における重要な境目の役目を担った彼は一体どんな人物だったのでしょうか?
彼は1796年にパリの裕福な織物商人の息子として生まれました。
幼い頃より絵を描くことが好きでしたが、父親からは画家になることは反対されます。
そして父親に従って商人にはなったものの商才は全くなく、仕事をしながら戸外でスケッチばかりしていたといわれています。
26歳のときにようやっと父親から許しをもらい、彼は画家としての道を歩み始めます。
彼は風景画家のアシール=エトナ・ミシャロンやジャン=ヴィクトール・ベルダンに師事しました。
その後イタリアへ赴き、そこでイタリア絵画の明るい色彩と光に影響受けました。
そしてそこで描いた作品がサロンで初入選を果たします。
イタリアから戻った後も創作活動を続けながらサロンに出品し続けました。
1835年に出品した神話をモチーフにした作品は不評を買いますが、その後の作品は絶賛され続け、出品するごとに国家に買い上げられていきました。
それにともなって彼の地位と名声も上昇していきます。
フランス最高名誉のレジオン・ドヌール賞の受賞、サロンの展示委員、そして審査員への推挙などと芸術家としての栄華を極めました。
晩年になると彼は自分のアトリエへ下絵描きの助手を通わせるなどして、貧しい画家たちへの援助活動を行いました。
絵を売ったほとんどのお金は孤児院や修道院、そして貧しい画家やモデルたちに与えられたと言われています。
優しく温厚な人柄であったコローは、多くの身内や仲間から「コロー親父」と称されて愛され慕われました。
それにも関わらず1875年に78歳でその生涯を終えるまで、彼は一度も結婚をしなかったそうです。
<カミーユ・コローの作品>
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