世界三大美術館の一つであるプラド美術館の看板「裸のマハ」は、誰もが知る名画でありまた世界の至宝ともなっています。
この名作を描いたのは、ベラスケスと並ぶスペイン最大の画家、フランシスコ・デ・ゴヤです。
彼は国王カルロス三世、四世と二代に渡って仕えた宮廷画家でした。
ゴヤはその地位に登り詰めるまでは、彼は王立タペストリー工場でタペストリーの下絵描き仕事をしていました。
そしてそこで下絵生活を続けながら、その才を発揮させはじめたのです。
彼の非凡なる才能に目をつけた王侯や貴族らは、彼に肖像画の注文を次々と依頼するようになりました。
そして彼は40歳のときについに国王カルロス三世付の画家となります。
宮廷画家の中で最も地位の高い国王付画家に任命されたのです。
それも二代続けてです。
ゴヤは画家としての最高の栄誉を受け、華やかな名声に囲まれました。
しかし彼の人生に、運命の転機が訪れましす。
46歳のときに重い病にかかり、聴力を完全に失ってしまったのです。
彼は、次第に内向的な性格になっていきました。そして作風も大きく変化します。
宮廷画家としての注文制作とは別に、戦場や悪魔を主題とした絵画を描き始めました。
彼は自己の内面や人間の心の奥底の暗い部分に目を向けて、それをキャンバスに描き出し、絵画を通して社会批判を行ったのです。
現存するゴヤの作品の中で、代表作と呼ばれるもののほとんどは、この時期に制作されています。
その最高傑作は「裸のマハ」でしょう。
この作品は彼が68歳のときに、ゴドイ首相に依頼されて描いた女性の裸婦画です。
200年以上も前に制作されたこの「裸のマハ」は、今日も尚、謎めいた名画として世界中の人々を魅了しています。
何故この絵が、それほど知られることになったのでしょうか。
それは作品としての素晴らしさもありますが、何よりも生身の女性の裸体を描いたことが衝撃的で、当時の社会に凄まじいセンセーションを巻き起こしたからなのです。
当時スペインはカトリック国として、非常に戒律が厳しく、このような風俗的なものは存在さえ許されていませんでした
「マハ」はスペインにとって初めての裸体画でした。
ゴヤは当然のごとく裁判にかけられてしまいます。
「誰からの依頼によるもので、この絵の女性は一体誰なのか?」
裁判官らに執拗に問い詰められますが、ゴヤは決して口を割らず、結局判決は曖昧に終わりました。
作品はゴドイの邸宅から見つかったたことから依頼主は判明しましたが、美しい裸体の女性の正体は現在も謎のままです。
この魅惑的な謎の女性をキャンバスに永遠に残したゴヤは、亡命先はボルドーでその生涯を終えました。
そのときゴヤは82歳で、40歳以上年下のドイツ人家政婦と同棲していたと言われています。
<フランシスコ・デ・ゴヤの作品>
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