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トマス・クーパー・ゴッチは銀行業と靴製造業に携わる裕福な一族の子供として、イギリスのケタリングで生まれました。
22歳になると、ロンドンのへザリー美術学校へ入学し、その後はスレイド・スクールへ通います。
このスレイド時代の仲間であった一人と彼は婚姻を結び、その一年後に夫婦で長期に渡ってオーストラリアへ旅にでます。
彼らは1884年にメルボルンで2人展を開催するなど、旅先でも芸術活動を行いました。
1887年に故国に戻ると、彼らは住人の大半が以前フランスで暮らしていた人々という西部地方の漁村ニューオリンに居を定めました。
そこは芸術家のコロニーでもありました。
自然ゴッチはニューリン派の写真主義的な主題を絵画に取り込んでいくようになります。
1891年から翌年にかけてはイタリアのフィレンツェを訪れます。
彼はここでフレスコ画で有名な「三賢王の礼拝」などに感銘を受け、それらイタリア・ルネサンス絵画の図像体系と様式を学んでいきます。
しかし、彼はその構成や図像に依存することはありませんでした。
それらに頼ることなく、彼は興奮と期待の気分を表す方法を追及したのです。
それは人物を象徴的に描くことでした。
彼は子供や青年らを長時間的な聖画像のごとく自身のスタイルで描きはじめました。
その代表的な作品が「王座の子供」や「全時代の後継者」、そして「聖なる母」なのです。
これらは「称賛すべき装飾性と健やかさ溢れる創造性を持っており、幻想とあるがままの現実との間の安全路線を上手くねらった」と大絶賛されました。
これらの作品は第一次世界大戦までパリ・ベルリン・シカゴなどで開催された万国博覧会に出品されて好評を得ます。
「聖なる母」にいたっては、イギリスの公共美術館に所蔵されたほどです。
後にゴッチは形あるものから離れた主題を扱うようになりますが、それらは以前として象徴的であり、物語を主題としたものではありませんでした。
ゴッチは生前より名声を得て、長年に渡ってロイヤル・アカデミー展に出品し続けましたが、最後まで会員に選出されることはなかったそうです。
<トマス・クーパー・ゴッチの作品>
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死の花嫁
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1894年−1895年
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アルフレッド・イースト・アートギャラリー所蔵
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