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ウジェーヌ・ドラクロワは、フランス絵画の壮大な作風を継承した大画家です。
ルーヴル美術館の至宝の1つである「民衆を導く自由の女神」は、彼によって描かれました。
その彼は、1798年にパリ近郊のシャラトン=サン=モーリスで生まれました。
父親は外務大臣まで務めた政治家、母親は高名な家具職人の娘でした。
しかし、実の父親はナポレオン政権下で外務大臣であった悪名高い人物タレイランであると言われています。
彼は、1815年に、新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲランのアトリエに入門します。
ここで、後にロマン主義者の先駆者となるテオドール・ジェリコーと出会い、彼らから多大な影響を受けました。
1822年に「神曲」からインスピレーションを受けて描いた「ダンテの小舟」をサロンに初出品しました。
この作品は国家に買い上げられます。
1824年には「キオス島の虐殺」を、1827年には「サルダナパールの死」を出品しました。
そのドラマティックな主題や強烈な色彩、筆触の激しさ等の理由から、批評会の注目を集め、ロマン主義絵画の旗手とみなされるようになりました。
1825年にはイギリスへ滞在し、1832年からは政府使節団の一員として北アフリカを訪れました。
この旅から膨大な水彩デッサンが完成されました。
そして彼はそのオリエンタリズム(中近東趣味)の代表者となります。
さらには、地中海の明るい光に大きな影響を受けた彼は、科学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの色彩理論を研究し印象派の先駆ともなりました。
この科学的研究に基づく色彩重視の手法は革命的で、後年印象派やセザンヌから礼賛されます。
1830年代半ばから、モニュメンタルな制作に多く取り組み始めました。
その代表的な作品が、ブルボン宮の「王の間」や図書室、リュクサンブール宮の上院図書館の天井画、そしてルーヴル宮の「アポロンの間」の天井画です。
晩年の代表作には、1855年から61年に制作されたサン=シュルピス教会の聖天使礼拝堂の壁画があります。
彼はヴィクトル・ユゴーをはじめとする文学者たちとも深い親交がありました。
ダンテやシェイクスピア、ゲーテなどの文学作品から着想を得た作品も数多く制作しています。
その他では、歴史や時局的な政治問題や革命思想も好んで描きました。
また彼は盛んな文筆活動で知られた理論家でもあり、、日記、書簡など多くの著作を残しています。
1857年には、美術アカデミー会員に選出されました。
1863年にパリで没します。
<ウジェーヌ・ドラクロワの作品>
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