『情事』 森瑤子   (第2回すばる文学賞受賞作品 初出1978年12月刊行「すばる」)

 

ポール、見て。私をよく見て。私の身体を見て。傷だらけで血を流している、あなたの妻の身体を、ポール、見なさい。


「情事」は故作家森瑤子氏の処女作である。

等身大の自分を反映させた赤裸々な性描写を綴ったこの作品は、当時の文壇に鮮烈な衝撃をもたらした。

 

物語は2ヶ月前に始まった主人公の「情事」の回想から始まる。

主人公は六本木に住む筆者と同じ名の「ヨーコ」。

彼女はイギリス人の夫を持つ35歳の女ざかりの女性である。

ヨーコと夫は、長年に渡る夫婦関係の慢性化からお互いの存在に既に無関心になっていた。

「物事に深く執着しない」ことが生き抜くための知恵だという思想を持つ彼女は、その通りこの事実から目をそむけながら虚ろな日々を過ごす。

しかし理性はそうであっても、女盛りの肉体はそうはいかない。

打ち消そうとしてもあとからあとから湧き上がってくる情念は軽々と彼女の鉄壁なもでの理性を吹き飛ばしてしまうのである。

そして彼女は夫以外の男性と「情事」なる時を持つようになる。

 

夏が始まる、2ヶ月前に始まったその「情事」の相手の名はレイン・ゴートン。

米国籍を持つ35歳の独身男性である。

ヨーコはふと立ち寄ったエキセントリックな人々らが集う行きつけの店チャルコットで彼と出会う。

彼はまるで映画のワンシーンのように登場する。

レインが現れ出たその場面だけ時がとまり、スローモーションのようにヨーコの心に食い込んで行くのである。

「私は、わずかに酔って、ほんの少し退屈で、出かかった欠伸を噛み殺すために、軽く入口の方へと顔を捩向けた。そしてそこに、あのひとを、見た」

「その男は、たった今飛び込んできた、というような風情で飄然と立っており、店内の混雑ぶりに見惚れ、それから顔を顰めた。次に意識的としか思えないほどゆっくりと、店内を見廻してそれがデイヴィッドのところで、突然に止まった。それから素早く人混みを分けると、私達の方へ、ほとんどますっぐに進んで来た。男が近づいた時、その髪が黒く豊かに波打っており、二つの瞳が夕暮れ時の海のように蒼いのが、わかった。その瞳を、真黒で長い睫が、まるで隈取りをしたように黒々と取り囲んでいた」

 

絹のような髪と、すみれ色がかった蒼い瞳というこの世で最も美しい組み合わせを持った、類まれな美貌の男性レインにヨーコは一目で虜になる。

ヨーコは「結婚はしていない」と彼に青ざめた嘘をつき、彼のアパートへ足を運ぶ。

「情事」の始まりであった。

だがそれはいずれは確実に破局を迎える「情事」だった。

物語の筋だけ語ると長年連れ添った夫との関係が冷め、それを埋め合わせるために妻が他の男を求めるといった浮ついたストーリーに思える。

だがそんなに単純ものではない。

「時の流れ」の残酷さがもたらす人との関係の慢性化による感性の喪失感を筆者は主人公に自分を反映させて語っているのである。

それは主人公がところどころで語る血を吐くような独白から理解できる。

「三十三歳を過ぎた頃から、自分がもう、若くはないのだ、という考えに漠然と支配され始めた」

 

「あと、何年かしたら男達は私を振り返ってみなくなるだろう。そして私の顔の上に男達の視線が止まらなくなるまで私には、あとどれほどの猶予が与えられているのだろうか。女の一生のうち、最も洗練され、完成された、つまり女盛りの、今のこの時に、夫の興味を女としての自分の上につなぎ止めておけないという発見に、私は嘆きに嘆いた」

 

「肉体から若さが、少しずつ剥ぎ取られていく、ということ以上に、私を脅かしたのは、精神の緊張を失うことだった」

 

「あの、いつだって、魂を揺す振れるほど美しかった、海に落ちていく夕日を眺めていて、突然、私の中で熱い感動が失われていることに気づいたのだ」

 

「私をそんなふうに拒み続ける海に対して、少しずつ、ああ、ほんとうに少しずつ、無関心になっていく他に一体どうすればよかったろう」

 

いつの間にか妻をそこにおいてある家具以上のものとして見なくなってしまった夫。

それが時の流れの常だとしても、女ざかりの妻の「肉体」は耐えられない。

彼女は叫びをあげる。だが夫はそれすらも気づかないのだ。

「いつ頃から、ポールと私の会話はこんなふうに味気ないものになってしまったのだろう。夫はもう、あまり私に語りかけようとしないし、そこに長く置かれている家具以上の興味をもって、私を見ることもない」

 

「でも、一体、どちらが先だったのだろうか。先に踏み外してしまったのは、私だったのか。最初に、相手を決定的に傷つけてしまった言葉を口にしたのは、やはり、私だったのだろうか。それからすっかり諦め切って、魚のように無関心でいたら、はるかに楽なのだと、初めに気がついたのは、夫だったろうか、私だったろうか。とても続けられそうにもなかった共同生活を維持していくためには、相手だけではなく、自分自身にさえも我慢をしなければならないと学んだのは、どちらが先だったろう。そして夫は妻に、妻は夫に対して、真底から無関心でいることは決してできないのだ、と気がついた時、どちらが余計に苦しんだのだろう。やがて、その無関心さをさえ、装うことを最初に学んだのは、私たちのどっちだったろう」

 

「それらは許せたが、妻の不安、妻の餓えを知らないでいる夫の無知、あるいはそのままやり過ごそうとする傲慢な無関心さは、許すことができないでいた」

 

「私が盛りのついた野良猫のように六本木の夜をうろつき廻っていたのをあなたは知っている?あなたの前で、普段は決してやらないことをしたり、言わないような言葉を口走ったりして、その度にハッと息を呑んだことにさえあなたは全然気がつかなかったじゃないの。あなたはただ水のように無関心だったわ」

 

「側にいるだけなら今までだってずっといたわ。これからだって、きっと同じことよ」

 

主人公はかつて婚約までしていた男性と別れ、なおかつ自分の人生の主軸であり糧でもあった音楽を捨ててしまった傷を心に負っている。

自分の青春の象徴でもあった男性が自分のもとから去っていったことと、血のにじむような訓練を毎日行い、すでに自分の一部となってている音楽を才能の限界を感じてやめてしまったことから、彼女が学んだのは「何事にも執着しない」ことであった。

またそうしなければ彼女は生きてはいけなかった。

「深いかかわりがなければ、人を思いやったろ優しい言葉を掛けるのは、なんと容易なことあろう。愛しさえしなければ、人を理解し、はるかに多くを識り合えるだろう。愛しさえしなければ」

 

その「何事にも深く執着しすぎない」ことを生き抜くための知恵とした主人公でも肉体の欲からはどうしても目をそむけることはできなかった。

冷えきった夫婦の関係をそんなものさと「諦めて」時の流れに任せることができなかったのである。

かつて自分の中で最高の男性だった人物と既に自分の一部であった音楽を「諦めた」ように諦めることができなかったのだ。

女の情欲が彼女の理性をかるがると食いちぎって支配してしまうのだ。

「自分が、若さを奪い取られつつあうと感じるようになると反対に、性愛に対する欲望と餓えが強まっていった。セックスを、反吐が出るまでやりぬいてみたいという、剥き出しの欲望から一瞬たりとも心を外らすことができないでいた期間があった」

 

そして彼女は情事を始める。レインと知り合う前に関係を持ったのは夫の友人デイヴィッドだった。

彼とは一夏の関係で終わる。レインと違うところはヨーコが既婚女性であることを承知の上での関係ということだ。

そのとき彼との情事の一場面をヨーコはこのように綴っている。

「あの軽井沢の昼下り、チラチラと零れる光の下で昼食をとっていた時ほんとうに幸せだった。空気は馨しくひんやりしていた。小さな栗鼠が、広い庭の上を走り抜けていった。私たちは微笑んでいた」

彼女は女としての満足感を肉体的にも精神的にも彼から与えられたのである。

だが夏の終わりと同時にこの情事は終わりを告げる。

しかしヨーコは「執着しない」女性。彼から告げられた別れに対して未練を残すような真似はしなかった。

それはまた彼女が執着したのは「デイヴィッド」ではなく彼が与える「官能」だったからである。

「私は、デイヴィッドの肉体に馴れ、彼の、いくつかの官能の仕草や、愛撫の仕方などに、深く執着していた。夫には決して言えないような淫らな言葉、好色な媚態、気まぐれ、我儘――これらは全て寛ぎであり、解放であった」

「別れの苦汁といったものはなかったが、寂寥感が私の顔の上に出ていたのに、違いない」

 

デイヴィッドとレインの決定的な違いはヨーコはレインを愛してしまったことにある。単なる情事では終わらなかった。

ヨーコは彼を自分のおぞましい肉欲をおさめてくれる相手としてでなく、一人の人間として彼を愛してしまうのである。

それはレインが夫や過去の情事の相手がついぞ与えてくれなかったものを与えてくれた男性だったからである。

美しい風景を見ても心が震えなくなってしまったとつぶやくヨーコに対してレインはこういうのだ。

「自然とか風景が、感動的なんじゃないよ、それを美しいと思う、人間の魂が問題なんだ。サンセットに心を打ち砕かれるためには、ヨーコ、いつも側に深く心魅かれる人間が、是非ともいる必要があるのさ」

まさしくこれはヨーコが渇望していたことだった。

真底愛し合える相手とお互いに精神的にも肉体的にも満たしあい、それによって世界の輝きを感じること。

 

しかしヨーコは最後まで真実を彼に告げなかった。

「たったひとつ、真実があったとすれば、皮肉なことに、それは最後まで口にし得なかった言葉あった。レインを愛していたこと」

「「彼のこと、そんなに好きだった?」「愛していたわ」と私は小さいけれど、はっきりと応えた。初めて声に出して」

 

そして彼女の情事は終わる。

待ち合わせたチャルコットでなんと彼らはヨーコの夫と鉢合わせしてしまうのだ。

全てを悟ったレインは静かに本当に静かにヨーコの前から退場していく。

出会ったときと同じ映画のようにスローモーションでゆっくりとレインがヨーコの前から去っていくのである。

「そして、私は、レインが入口の方へ向かって足早に歩み去っていく後ろ姿を、見た」

「レインの去って行く姿を見るのは、初めてだった。黒い髪が、幾すじにも乱れて、生きた蛇のように、首に巻きついているのが、目の底に焼きついた」

 

彼女はその情事の終わりをこう語る。

「そして自分が無意識に使ってしまった言葉の過去形に気付いて、愕然とした。私は、この夏の情事がすっかり終わってしまったことに、もうすでに馴れ始めているのだ」

これは物語の冒頭部分に始まる「夏が、終わろうとしていた」という言葉とともに、自分の青春の象徴「若さ」が一つ失われたことも暗示しているのである。

日を追うごとに失われていく「若さ」と「感性」。そしてそれらが失われていく「嘆き」への「慢性化」に対する悲しみ。

著者はそれらを「私の中で青春の輝きがまたひとつ、確かに消えていったのを、識った」という言葉を物語当初で語る。

そしてそんな残酷な時の流れの中で営まれた「情事」に主人公は乾杯をして物語は終結するのである。


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  情事 (集英社文庫) 著者:森 瑶子

    故作家の衝撃のデビュー作。昨今は見つけることが難しくなってしまった絶版品でもある。この機会に手に入れたい。