菩提樹

著者:大和和紀

 

 

 

本作品「菩提樹」は1984年〜1985年にかけて週間少女フレンドで連載され、単行本は全3巻刊行(文庫版は全2巻)、1988年には映画化されました。
著者は不朽の名作「あさきゆめみし」を描いた巨匠・大和和紀氏です。

主人公は中原麻美という名の女子医大生で、彼女が医大に入学してから卒業するまでのストーリーが綴られています。
麻美には“あしながおじさん”がいました。
幼い頃、交通事故で両親を亡くした彼女を援助する人物です。
“あしながおじさん”は、麻美が将来医者になることを条件に、彼女の生活一辺の支援をしていました。
しかし麻美は“あしながおじさん”が誰なのかはわかりません。
一人前の医者になるまでは会わないということと、自分について何も聞かないことが出資の条件に含まれていたからです。
それはもう6年にもなりました。
“あしながおじさん”の正体が気になりつつも、怒涛の医大生活がスタートしました。
個性的な寮生やチームメイトとともに始まったその日常生活は聞きしにまさる凄まじさで、講義、実験、レポートと勉強、勉強、勉強づくしでした。
目まぐるしく日は過ぎていきます。
私生活も勢い変化しました。
道を分かってしまった恋人とのさよなら、寮生のかけおち、と。
そんな日々を過ごす中、麻美は講座を受けもつ一人である早坂教授に惹かれていきます。
若くハンサムで気骨のある彼は、男女ともに学生たちの憧れの存在でした。
麻美は彼と、アルバイト先で親しくなります。
しかし学校での教授はそっけないのです。
麻美は彼に近づくため、彼の研究室のゼミ生となります。
そして二人の距離は近づいていきますが、周囲は快く思いません。
もちろん“あしながおじさん”もです。
このまま、彼を慕い続けるようであれば、援助を打ち切るとまで言われますが、本当の恋を知った麻美は聞く耳を持ちません。
そんな矢先、教授は突然姿を消しました。
学校の授業にも現れません。
麻美は捜しますが、何処にいるのか全くわからないのです。
脱け殻のようになってしまった麻美のところに、“あしながおじさん”から連絡がありました。
ついに麻美と対面すると言うのです。
一人前の医者になるまでは会わない約束だったのに、突然何故?
わけがわからないまま、麻美は言われた通りに飛行機に乗り、ドイツへと向かいます。
そしてそこには驚愕の真実が待ち受けていました。

以前から、医療関係のドラマや物語はたくさん創作されていました。
また昨今では、医療現場の状況の過酷さが問題化されてクローズアップされています。
「医師」も一人の人間であることの提言でしょうか。
一般的な視点からだと「医師」は特殊な職業、それも別次元に生きる人々であるという思考が強くインプットされています。
その通りですが、根底はやはり一人の人間です。
一人の「人間」が「医師」になるのです。
では「医師」とは?
本作ではこのように語られています。
「単なる人体の修理屋ではなく人間が人間らしく生きるための補助者」
「人がうまれてその命をまっとうするまでその生命力と気高さを愛するもの」
「死とたたかい、死をおいはらえるもの」

本作は単なる医学生のキャンパスライフを描いた物語ではなく、その医学を志す者の根幹が描かれています。 
釈迦がその下で悟りを開いたとされる木−−タイトルの「菩提樹」が軸となって。
そして作品のモチーフである“医療”を通して、“生”に対する指針をも示しています。
“生きる”とは一本の大木になるということ。
そしてそれは幾度枯れようと蘇り、愛する人々を見守り続けるということ。

麻美は「医学」を学びながら、生と死を見つめ、そして人を愛することを知っていきます。
大きな愛に包まれながらも、それに絶望し、そして立ち上がって再び愛を知るのです。
それは枝木が一本の樹へと生育していくように。
最終局面で、麻美は自分の生命とも思える人生最高の人にも出会います。
成長した樹が枝木を生やすかのように。

自分は、麻美の人生を通して、人が「生きる」意味を知ることができました。
「生」の本質を見事に捉えた「生命賛歌」とも言うべき素晴らしい物語です。


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