青青の時代

著者:山岸凉子

 

 

 

南方の小さな島で、一人の少女が気が触れた祖母と暮らしていました。
少女には両親がいませんでした。
母親は島に来る前に既に亡くなっており、母親と懇意な仲であった男が、少女と祖母を自分の故郷であるこの島に連れて来たのです。
その男も三年前に他界してしまったため、少女と祖母は、男の兄一家に引き取られて面倒を見てもらっていました。
しかし小さな島では得るものが少ない上、一家は子沢山で、血の繋がりのない年端もいかぬ少女と気狂いの老婆は厄介者でしかありませんでした。
また海の向こうの大きな国では、戦争が絶えず起こっていて、島からも強制的に兵の徴収が行われていました。
そしてついに少女が身を寄せている一家の父親までが連れて行かれてしまったのです。
大黒柱を失ったこともあり、父親の弟の連れ合いだった娘と母親というだけで面倒を見ていただけの少女と老婆は、家から追い出されてしまいます。
十に満たない少女と何もできぬ老婆は野宿生活を送ることになりますが、老婆は過酷な状況に耐えきれず熱を出して寝込んでしまいました。
少女は、身を寄せていた一家に助けを懇願しますが、すげなく追い返されてしまいます。
さらにはその一家の長男に騙されて罠にかけられ、少女は島の男たちに乱暴されてしまうのです。
暴行されて失神状態で倒れている少女を助けたのは、死人を弔う役目を担っている「クロヲトコ」でした。
クロヲトコは目を覚まさない少女を家に連れていき介護します。
そんなとき、身なりの良い男が船に乗ってやって来ました。
男は尊大な態度で「照日女(ティラヒルメ)」を探しに来たと言います。
照日女とは、海の向こうの伊都国の巫女王・照日女子(ティラヒミコ)」の姉のことでした。
その人物こそが、少女の祖母だったのです。
少女は、気狂いの祖母・照日女と自分を助けてくれたクロヲトコと共に、迎えにきた者たちに導かれて島を出て、伊都国へと向かいました。

日本史の教科書に真っ先に登場する人物、邪馬台国の女王「卑弥呼」の物語です。
(*本文中では「日女子」と記載)
日女子は伊都国に君臨する巫女王でありながら、伊都国含む大和連合国の「聞こえ様」であり、託宣により諸国を統治していました。
巫女王「聞こえ様」は、代々王となった者の姉妹から選ばれます。
日女子は、現伊都王の腹違いの姉妹でした。
王が代替わりすると、「聞こえ様」も新王の姉妹へと交代させられます。
現・伊都国王は死の床にありました。
亡くなった場合、日女子は「聞こえ様」を退位することになるのです。
国王には四人の王子がいました。
彼らは、それぞれの思惑から、己れが王になることに野心を抱いておりました。
また政略結婚関係で伊都国と繋がった諸国も自分たちに有利な人間を王にさせようと干渉してきます。
最有力候補は長兄の日子(ヒルス)でした。
絶対的な存在「聞こえ様」が肩入れしているからです。
その勢力を削ぎ落とすために、追放された日女子の姉である前代の「聞こえ様」の日女が呼び戻されたのです。
しかし日女たちが到着してすぐに伊都国王は亡くなってしまいました。
またその後を追うかのように、日女も死んでしまうのです。
共に伊都国にやって来た孫の壱与(イヨ)とクロヲトコのシビは、否応なく伊都国を含む大和連合国の政変に巻き込まれていきます。

本書を読んだとき、名作「日出処の天子」の厩戸王子から受けた衝撃と同じ感覚が心に走りました。
それは、「えっ、これが卑弥呼なの!?」という驚きでした。
しかしストーリーを追っていくうちに、次第に腑に落ちてきました。
謎めいた人物だった「卑弥呼」が、実在感を持って生々しく感じられてきたのです。

○十年前に自分が学んだ歴史では、邪馬台国は謎に満ちた王国であり、存在した場所も明瞭ではなく、畿内説と九州説に分かれていました。
中国の歴史書では「倭の国の巫女王 卑弥呼 鬼道に事え 能く衆を惑わす(注:抜粋)」と記載されています。
そしてその異国(魏の国)からも「王」と認められて、「親魏倭王」の名称を戴きました。
日本の文字が確定していなかったはるか古代に、他国にまでその名を響かせ、文献にまで載った女王は、歴史好きな人間は言うまでもなく、ストーリーテラーたちも惹かれる神秘的存在です。
卑弥呼亡き後の邪馬台国がどうなったのか杳として知れないところがそれにまた拍車をかけています。
幾多の物語が紡がれ、自分も何冊か目を通しました。
その中で、一番リアリティーを感じたのが本書です。

本書では、邪馬台国は幾つかの国からなる連合国として存在します。
卑弥呼こと日女子は、その大和連合国の一国・伊都国の女王でした。
大和の伊都国→邪馬台国、なるほど、です。
そしてその地が、物語の背景描写から九州であることもわかります。
伊都国の奥深い宮殿で、日女子は神の声を聞くことができる「聞こえ様」として大和連合国に君臨していました。
その日女子は、御簾越しでしか存在を示しませんでした。
側に使える女官たちもはっきりと顔を見た者はいないと言われています。
読み手もその姿を見ることができません。
しかし物語冒頭で登場した日女子の姉の日女は白髪頭で顔はしわくちゃの六十近い老婆でした(この時代では高齢)。
彼女の同母の妹であり、それも「聞こえ様」として君臨して四十年以上経ているのですから、日女子も近い年齢のはずです。
それにも関わらず、御簾越しからは影ながらもしゃきっとした身体の輪郭が見え、凛としたはりのある声が聞こえてくるのです。
物語中に、ふと日女子の顔が見えることがあるのですが、それはとても老婆のものとは思えませんでした。
神の声を聞くことができる「生き神様」的存在であるにしても不可思議です。
周囲の人々は神の嫁である処乙女であるから年を取らないのは当然と思い納得して心酔してしまいますが、賢しい登場人物や読み手は感嘆などできるわけなく、不気味さを感じるのです。
謎はまだあります。
姉の日女は、何故「聞こえ様」の地位を剥奪され、追放されてしまったのでしょうか。
日女の娘の鳴与(とよ)や孫の壱与の父親は誰だったのでしょうか。
日女は激しく日女子を恨んでいる様子でした。
姉妹には深い確執があるようです。
こうした日女子にまつわる不可解な事柄は物語が進むに連れて明らかにされていきます。
そして王が亡くなって、政変の真っ只中にいる彼女の真意と目的も詳らかになります。

本書を読むと、日女子は巫女と言うよりは、卓越した政治家であり指導者であったと見受けられます。
勿論、巫女的能力にも秀でていましたが、彼女はそれをさらに誇大化させて、あまねくその力と己の名を知らしめたのです。
違えることのない神託を告げることで信頼を、若さを保つことで神秘性を、姿を見せぬことで不可侵性を得て、人々が畏れ敬う存在に自ら仕立て上げたのです。
更にははるか海の彼方にある異国からも自分が「王」であることを認めさせました。
経緯や理由は何であれ、この効果は絶大でした。
各国の王族や民たちは、日女子を神聖化し、服従します。
そうして手に入れた絶対権力で日女子は国を統治しました。
されどその日女子の力が強大過ぎたため、新王を巡っての争いが熾烈を極めることになったのです。
物語の終わりまで、同族間や他国間で、これでもかこれでもかという程の醜い争いが続きました。
その結果、邪馬台国は歴史上の表舞台から消えることになります。
巫女王・卑弥呼とともに。
多くの殉死者とともに。

伊都国に連れて来られた壱与とシビは、内情がよくわからないまま、日女に先立たれ、権力闘争に巻き込まれ利用されてしまいます。
それはもう非道な扱われ方でした。
それでも二人は生き抜きました。
目まぐるしく変わる周囲の状況に翻弄されて、幾度も命の危機に晒されたのにも関わらずにです。
それは壱与に、神女であった日女と同じような力が宿っていたからでした。
その力ゆえに死地を免れたものの、壱与は恐ろしさを覚えました。
人ならざるもの、人を越える力がどんなものか悟ってしまったからです。
そしてその力を持った者や関わった者の行く末をその目で見て知ってしまいました。
彼らは人としての心を失い、互いに斬り合ってたくさんの血を流し、平然と残忍な仕打ちをしました。
過酷で壮絶な状態に置かれ続けた壱与は、少女でありながら世の条理を解し、最後にはありのままに生きることを選択します。

青き波濤が轟き渡る愛憎渦巻く日本の古代史ストーリーです。

本作品は、邪馬台国を表現した歌「航海」を聞くとより一層イメージが強く湧きます。

「航海」
作詞:岩間芳樹
作曲:廣瀬量平

風を待ち 帆にはらみ
渡り鳥に みちびかれ
われらが船を 島へ向けよう
おどろなる 昏迷の女王国
弥馬台めざす はるか東方一万里
朝霧のかなたより 日は昇る

「夫れ楽浪海中に倭人有り
分れて百余国
大いに乱る

更相攻伐 暦年主なし
ここに 一女子有り
名づけて 卑弥呼

嫁すこともなく鬼神道に事え
妖を以て衆を惑わす
共に立てて王と偽す」

船足も 軽やかに
汐路にのり 矢のごとく
われらが船は 波間をすすむ
島人の とざされた営みに
光を放たん はるか東方一千万里
ふりむけば 大陸に 日は沈む

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