ART POWER
Part.12
エステル ジョン・エヴァレット・ミレイ
19世紀の英国画壇に君臨したジョン・エヴァレット・ミレイは好きな画家の一人である。
世界中に知られている彼の代表作品「オフィーリア」を見て以来、彼に興味を持ち、その作品を数多く見てきた。
ミレイが多作であったことと、日本でも人気の高い画家であったことが幸いした。
彼の作品は、日本で開催される企画展で何度も目にすることができたからだ。
幼少時よりその天賦の才を発揮し、生前より名声を欲しいままにしてきたミレイの作品はどれも素晴らしかった。
その中でもとりわけ印象深い作品があった。
2008年に開催された「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」で展示された作品「エステル」である。
鮮やかな黄色のマントを纏った長い茶褐色の髪をした女性が描かれている画だ。
女性は青いカーテンの前で、金の宝冠を左手に持ちながら、その長い髪をほどこうとしている。
彼女は何をしようとしているのか。
そして何者なのか。

この女性の名はタイトルと同じ「エステル」。
旧約聖書の「エステル記」に登場するユダヤ人女性である。
そしてペルシア王の妃でもあった。
エステルは今、カーテンの向こうに座す自身の夫である王に謁見しようとしているのだ。
当時は、王の召喚なしに王と会見することはタヴーとされおり、それを破ったものは死罪にされた。
例えそれが妻の王妃であってもである。
今、エステルは死を覚悟して王に拝謁しようとしている。
何故に?
それは、時の大臣ハマンが、エステルの父モルデカイをはじめ、ユダヤ人すべての殺害を企んでいたからだ。
エステルは自分の父や同胞を救うため、そのことを王に訴え出ることにしたのである。
毅然とした姿勢と表情からエステルの死をも覚悟した決意が伝わってくる。
王冠を取り、髪をふりほどいて王に会おうとしたのは、王妃ではなく一人の人間として請願することの決意の表れである。
同胞を救うための高潔な志が伝わってくる。
死をも恐れぬ大胆なふるまい、そしてその勇ましい表情に圧倒された。

人間には一生に一度は、すべてをかけなければならぬときがある。
自らの生涯と引き換えにしても。
そのときがいつ訪れるかはわからない。
だかそのときが来たら、自分はこの絵のエステルのように毅然とすべてをさらけ出すことができるだろうか。
髪をほどき王冠を取り去ったのは、エステルの自身の命をかけた覚悟の表れである。
自分はこのようにすべてを捨てられるだろうか。
もし、そのときが来て、逡巡したら、この絵を思い出そう。
エステルから勇気をもらうのだ。

果たしてエステルはどうなったか。
アハシュロス王は彼女の訴えを聞き届け、ユダヤ人虐殺を目論んだハマンを処刑する。
そして、エステルの父モルデカイは高官へと引き上げられた。
エステルの命懸けの行為が王の心を動かしたのだ。

何かを得るには相応の覚悟が必要である。
何一つ失わないで得るものなどない。
自身のすべてをかけなければ何も手に入れることはできないのだ。
いつか自分が何かを得ようとしたら、すべてをかける。
そしてそのときを見誤らない。

*「エステル」 ジョン・エヴァレット・ミレイ 1865年制作 個人蔵
モデルのスーザンが纏っている衣装は当時の国民的英雄であったゴードン将軍への中国政府からの奉呈物。ミレイはその衣装を借り受け、そして抽象的な色合いを引き立たせるために故意に裏返しにして描いた。

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