ART POWER
Part.4
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか ポール・ゴーギャン
   
ポール・ゴーギャンは日本でも知名度の高い印象派の巨匠である。
その彼の代表作の一つである「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。
この作品は画集を見て、知ってはいた。
いつか実物を見たいと思っていたところ、来日した。2009年のことだ。
実物はかなり大きかった。
その大きなキャンバスの中に幾人かの人物(あるいは動物)が描きこまれている。
そしてそのほとんどが半裸体である。
最初に目がいくのは、中央で屹立している林檎を手にしている女性だ。
この女性は人類の源であるイヴを象徴している。
そのイヴの左側には若い女性らと赤子がいる。
右側には林檎を食べる子供、娼婦的な若い女性、醜い老婆、そして(おそらく)家鴨がいる。
背後には背景に溶け込んだかのような色彩をした神仏像が立っている。
画面全体が青い色調で描かれた限りなく美しい絵であるが、謎めいていて実に不可思議で魔的だ。
見れば見るほど様々な思考が交錯していく。
果たしてこの絵は一体何なのであろうか?
展示された当時の解説によると、ゴーギャンはタイトルの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という決して答えの出ない問いを描いたとされている。
これは人類すべてが生まれながらに持つ究極の疑問である。
つまり「生きるとはどういうことか」、そして「自分は何のために生まれてきたのか」ということである。
林檎を女が手にしたことにより始まった生と死の循環。
苦し気な顔をしている赤子、林檎を貪る子供、傲慢にも若さに溺れる女性、そして老いとやがて来る死に脅える老婆。
それらをただ静かに見つめる神仏…。
それは永遠に繰り返される。
始まりも終わりもない。
この作品そのものがその問いに対するゴーギャンの答えなのではないか。
つまり生きるということは、答えの出ない問いを繰り返すということ。
人は生きていく限り、考えることを止められない。いや、止めてはならない。
考えること、思考を持つことが生きることそのものなのだ。
この一枚の絵はそれを教えてくれた。
それにしても本当に私は何処から来て、何処にいくのだろうか?
そして私は一体何なのであろうか?
答えの出ぬまま、今日も私は生きている。

*「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 ポール・ゴーギャン 1897年-1898年作 ボストン美術館所蔵
ポール・ゴーギャンの代表作の一つで不朽の名作。タヒチ滞在時に描かれた。本作品完成後、自殺するが未遂。2009年に初来日。

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