ART POWER
Part.5
ベアタ・ベアトリクス ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
   
「ベアタ・ベアトリクス」は19世紀半ばに活躍したラファエル前派の画家の一人であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの代表作である。
この作品を初めて見たのは22歳のときであった。
今は無き新宿伊勢丹美術館で開催された「スコットランド国立美術館展」においてである。
それから相当の年月を経たが、キャンバスに描かれた画の素晴らしさに息を呑み、ただただその絵の前で立ち尽くした記憶はまだ鮮烈に残っている。
「綺麗」とか「美しい」という言葉では足りない、いや遠く及ばない、「神々しさ」がそこにあった。
タイトルの「ベアタ・ベアトリクス」は「祝福されしベアトリーチェ」の意である。
ロセッティは自身と同じ名の偉大な詩人ダンテの永遠の恋人「ベアトリーチェ」に、妻のシダルを重ねて本作品を描いた。
画面には瞳を閉じ、恍惚とした表情を浮かべているシダルの姿がある。
シダルは、今まさに死を迎えようとしているのである。
ようやっと苦悩の生から解き放たれ、天に召されるのだ。
シダルは夫の心が他の女性に向いていることの現実に耐えられず、アヘン剤を過剰摂取し、黄泉へと旅立った。
文章だけ読むといかにも彼女が哀れで薄幸な女性に思える。
しかし果たして本当に彼女は不幸だったのか?
画面に描かれているシダルはそうは見えない。
それどころか羨望さえ持つほどに眩しく光り輝いている。
自分の心が壊れるほど、シダルは自分を裏切った夫のロセッティを愛した。
この世に生を受け、自身の魂が破壊するほどの愛を持てる人が、一体この世に何人いるであろうか。
それは己の”生”を貫いた証である。
そしてその御魂は新世界、天上において祝福されるのだ。
これほど素晴らしいことがあるだろうか。
本作品の額縁には、詩人ダンテの「神曲」の最後の一文が記されてある。
「太陽およびその他の星星を動かす愛」と。
至高の愛の行方を教示してくれた名画である。

後に、幾たびか、この絵を目にする機会に恵まれた。
画の輝きはいつも変わらなくあった。
名作は永遠である。

*「ベアタ・ベアトリクス」 1864-1870年 テート・ギャラリー所蔵
「プロセルピナ」と並ぶロセッティの代表作の一枚。本作品は自身と同じ名の13世紀の詩人ダンテの傑作「新生」から多くの引喩を取り込んで描いた。数枚描いており、テート・ギャラリー所蔵作品が最も有名。

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