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フランツ・クサファー・ヴィンターハルターは、オーストリアの美貌の皇后エリーザベトの肖像画の作者として名を知られている画家です。
その彼は1805年にメンツェンシュヴァントで生まれました。
農村で生まれ育った彼は、成長するとフライブルクにあったヘルダーの画塾で素描と版画を学び始めます。
そこで6年間修行した後、今度は奨学金を得て、ミュンヘン美術アカデミーに進学し、ロベルト・フォン・ランゲルに師事しました。
また一方では、ピロティとゼルプが運営していた画廊で油彩画をリトグラフで複製する作業をして、生活費を工面していました。
1828年に、彼はバーデン大公妃ゾフィーに素描を教えるために、カールスルーエに移り住みます。
これによって彼は、宮廷との繋がりができ、数多くの肖像画の注文を受けるようになりました。
1833年から翌年にかけてはイタリアに旅行し、ローマに赴いて芸術上の重要な刺激を受けます。
またこの時期に彼は風俗画に着手し始めますが、たくさんの肖像画の依頼のために、結局制作は影に追いやられてしまいました。
彼はカールスルーエに戻った後、バーデン大公国の宮廷画家となりますが、1834年にはパリへと移ります。
そこで国王ルイ・フィリップの庇護を受け、そしてサロンででも成功を収めした。
彼は社交界における人気作家としての地位を確立したのです。
彼は欧州各地の王侯貴族からあまたの招聘を受けるようになりました。
1841年にはイギリスでヴィクトリア女王を、1852年にはスペインでイザベラ王女をと各地で肖像画を描き続けました。
ロシア、オーストリア、プロイセン、ベルギーでも制作しています。
フランス第二帝政時期には、ナポレオン3世の宮廷で皇帝と皇妃ウジェニーの肖像画を繰り返し描きました。
こうして精力的に世界にまたがって有名人物の肖像画を描いてきたヴィンターですが、1850年代から60年代にかけて休養をとるようになります。
彼はしばしばバーデン・バーデンに滞在し、あした。1868年にはミュンヘンにも訪れています。
そして1870年にはスイスに温泉療養しに行き、翌年にはカールスルーエに戻りました。
その2年後、彼はチフスによりこの世を去るのです。 |