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エリュー・ヴェッダーは米国においては少数派の象徴主義の画家の一人であり、また幻想絵画の先駆者でもありました。
彼が誕生してから画家になるまでの当世の米国は、独立して間もない若い国で、美術に関しても独自の様式はまだ確立していませんでした。
そのため多くの画家は、欧州の伝統的な様式を学ぶのに精一杯で、結局はその模倣にしか過ぎない作品しか生み出せませんでした。
そうした中で、ヴェッダーは己の創造を駆使し、他の誰も真似できない幻想性豊かな作品を描くことに成功し、アメリカ絵画史に大きな影響を与えました。
そんな彼は一体どのような生涯を送ったのでしょうか?
ヴェッダーは1836年に米国のニューヨークにて誕生しましたが、その半生は欧州にて過ごしています。
若い頃の彼の生活はとても苦しいもので、グリーンティングカードのデザインや雑誌のイラストなどを手がけて、生活費を工面していました。
20歳になると、彼は欧州(イタリア・フランス)へ渡り、そこで本格的に美術を学びます。
その後、一旦米国に戻りますが、1866年に再度欧州へ渡り、ローマを永遠の住居として定めました。
そして1923年の87歳でこの地に没します。
ヴェッダーの神秘的な作品はともすれば、不気味にも見え、見る人に不安や恐怖の感情を沸き起こさせます。
特にそれが顕著に見られるのが、1860年代に描かれた作品群です。
この当時、彼はローマに居を移す前で、まだ米国におり、米国は南北戦争の真っ最中でした。
この戦争による腐敗的な社会世相が彼の創作に影響を与えたのでしょう。
そしてまたこうした精神風土が彼の内面的な世界へさらに探求するきっかけにもなったのです。
しかし米国の現実主義や実利主義は彼には合わなかったようです。
そのためか、彼は米国には戻らずに、最後まで欧州にて芸術活動を行いました。
彼の代表作は1885年に描かれた「死の杯」ですが、本作品はもちろんのこと他の作品も何故か”死”が暗示されて描かれています。
それは彼の少年時代にいくつか体験した不可思議な体験に基づいているためだと言われています。
カウボーイとインディアンごっこをして遊んでいたときに、誤って弓でペットを殺害してしまったこと、
自分が墓の中に閉じ込められ、今にも死ぬという夢をみたこと、
彼の祖父が腕時計を巻きながら「今日の3時に自分は死ぬ」と言って、まったくその通りになったこと、
などと、こうした”死の予感”にまつわる一連の不吉な出来事が幼少のころより幾たびかあったようです。
それがまた彼の芸術精神の糧とにもなったのでしょう。
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