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ラファエル前派の画家の一人に数えられるシメオン・ソロモンは、正統派ユダヤ人家庭の8人兄弟の末っ子として、1840年にロンドンのイースト・エンドで生まれました。
彼の兄であるエイブラハムと姉のレベッカは芸術家でした。
その兄からソロモンは絵の手ほどきを受けます。
そして1855年にロイヤル・アカデミー美術学校に入学しました。
そこで彼はアルバート・ムーアや他の画学生らとともにスケッチクラブを結成します。
1858年頃にはラファエル前派の創始者であるロセッティやバーン=ジョーンズと知り合いになりました。
そして当時の二人が試みていたペン画のスタイルを採用します。
それは精密で高度な完成度を持つものでした。
彼はとりわけ宗教上の典礼や宗教史と関連した主題に惹きつけられました。
1860年代になると彼を支援したコレクター仲間の倒錯的な性的好みを満足させるような主題も手がけるようになります。
また10年くらいの期間、詩人でもあり作家でもあったアルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンと親しく付き合いました。
この間、ソロモンは彼の好色的な小説「レズビア・ブランドン」と「鞭打ち台」の挿絵を描いたりもしています。
さらに彼はこの時期、イギリス画壇を席巻した古代熱にも影響されました。
彼が描いた「バッカス」という作品は、ウォルター・ヘイターに賞賛されます。
1866年と1869年にはイタリアを訪れました。
彼はこの地でルネサンス絵画を学び、また詩作にも励みました。
1871年には散文詩「愛の幻影」が出版されています。
1858年から1872年まで彼はロイヤル・アカデミー展に出品し、また1865年から1872年まではダドリー・ギャラリーで作品を発表しました。
またウィリアム・モリスから装飾美術のデザインの依頼もされたりもしました。
こうして順調に芸術家としての道を歩んできた彼に、突然影が差し掛かります。
1873年になんと同性愛の罪で逮捕されてしまうのです。
判決は執行猶予となりましたが、彼には禁固18ヶ月の刑が言い渡されました。
そして当時の美術界からは追放され、画家仲間たちからは付き合いを避けられるようになってしまったのです。
ソロモンはそれでも制作活動を止めませんでした。
彼はダ・ヴィンチや他のイタリアの画家たちを研究した成果に基づく素描スタイルで絵を描き続けました。
しかしそれらの作品群は繰り返しの多い、力弱いものだったので、世間に受け入れられることはなかったのです。
晩年になると彼はアルコール中毒にかかってしまいます。
彼は、労役所で過ごしたり、大道画家になったり、靴紐の販売などをしたりして日々の生活をまかなっていたそうです。
そうして極貧の生活を送りながら、65歳で亡くなりました。
ソロモンの生み出した芸術は、中途で拒絶されてしまいましたが、世紀末になると、不思議なことに若い世代に受け入れられるようなります。
彼が創造した奇妙な象徴主義美術が興味を持たれ、作品が収集されるようになっていったのです。
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