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長い年月ロシア絵画は西ヨーロッパ絵画の模倣でしかありませんでした。
それをうち破ったのが「移動派」です。
このグループは1870年にサンクト・ペテルブルグで結成されました。
民衆や歴史を主題とした作品を描くことを主としたこの派により、ロシア絵画は他国の模倣ではない独自の画風が確立したのです。
その「移動派」の中心となったのがイリヤ・レーピンでした。
イリヤ・レーピンは1844年にウクライナの入植者の子供として生まれました。
成長した彼はペテルブルグ美術アカデミーにて美術を学びます。
しかしそこでの教育は融通の聞かない、押し付けがましい他国の伝統に縛られたものでした。
それに反発を感じたイワン・クラムスコイはレーピンら若い弟子たちと学校を捨て去ってしまいます。
そうして結成されたのが「移動派」でした。
レーピンはロシアの民衆の歴史と大地に根ざしたものを深く愛し、それを作品に反映させていきます。
そして1870代に制作した絵画「ヴォルガの舟曳き」で彼は名声を確立しました。
1870年〜1873年にはアカデミーの許可を経て、イタリアとパリに留学します。
そこで当時台頭していた印象派の作品にもふれますが、彼の作品を見てわかるようにその影響はほとんど受けませんでした。
彼が長年にわたって描いた大作「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージュ・コサックたち」はロシア絵画では最高の額を持って買い上げられます。
これらの世間から評価を受けた作品群の他に、彼は肖像画も多く手がけました。
自分の家族やトルストイ、ドストエフスキーなどの著名人などの肖像です。
レーピンは「美術は民衆のためにある」という思想でそれを徹底して実践し続けた画家でした。
近代ロシア美術に多大影響を与えた彼は、1930年にロシア・レーピンの地にて没します。
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