|
パウラ・モダーゾーン=ベッカーは、ドイツ生まれの女流画家です。
優れた描写力を持ってはいたものの、彼女の存命した年数は31年と短かったため、生前においては世間にその名を知られることはありませんでした。
また、パウラは存命中より、自分がそう長くは生きられないだろうということを予期していました。
だからこそ、画家としての天職を全うすることに何のためらいもなく意欲を燃やし、天寿を全うするまで制作活動に邁進したのです。
そのため短い生涯であったのにも関わらず、彼女はかなり多くの作品を残しています。
また彼女は自分の短命、そして画家として名声を確立しえなかったことに対しては、こう語っています。
「自分があまり長く生きられないことはわかっている。でもそれはそんなに悲しいことだろうか?私の人生は1つの宴、短くも充実した宴なのだ」、と。
自分の人生を”宴”と称した女流画家パウラ。
果たして、彼女はどんな生涯を送った――いいえ、どんな宴を催したのでしょうか?
その短いながらも”宴”となった彼女の人生の軌跡を追って行きたいと思います。
パウラ・モダーゾーンベッカーは、1876年にドイツのドレスデンに生まれました。
その後、一家でブレーメンに移住します。彼女が12歳のときです。
このブレーメンは北ドイツの都市であり、グリム童話に登場する舞台地にもなっています。
さらにその10年後、彼女はそこから約30キロ離れた場所にあるヴォルプスヴェーテに移ります。
このヴォルプスヴェーテは、白樺の並木や林が生い茂る沼沢地の鄙びた寒村だったのにも関わらず、彼女はこの地に魅了されます。
そしてそのまま居を構え、そこで生活をしながら制作活動をすることになりました。
そしてこの地に魅了されたのは彼女だけではありませんでした。
フリッツ・マッケンセン、オットー・モダーソン、ハインリヒ・フォーゲラーらの画家や、詩人のリルケなどもこの地に集うようになったのです。
ヴォルプスヴェーテは、ミレーらのバルビゾンと同じく芸術家たちの大切なコロニーとなり、創作活動の源泉ともいうべき聖地なりました。
当然のごとく、ここに集った画家たちは、このヴォルプスヴェーテの淡い光の中に展開するさびた自然風景を主として描きます。
しかしパウラが描いたのはそうした自然風景ではなく、ここに純朴に生きる素朴な人々や自分自身の姿であったのです。
しかもそれは独自の画風で描かれたものでした。
生前において、彼女の名があまり知られなかったのはこのためだったと言われています。
しかし近年においては、この彼女独自の描写で描いた風景と一体化したような人物画が再評価されてきたのです。
このヴォルプスヴェーテに移り住んだ年、パウラはオットー・モダーゾーンと知り合います。
そしてその3年後オットーの妻が死去すると、彼女は彼と婚姻を結びます。
6年後、彼女は彼の子供を身ごもりますが、出産後まだ一ヶ月にも満たない娘を残して逝去してしまいます。
パウラの自画像では、自分が妊娠している姿を描いた作品が多々見受けられますが、それがおそらく出産後の己の”死”を予感していたからなのかもしれません。
|