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ベルギーの象徴主義画家ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンクは1867年にフランスのモンテルメーで生まれました。
しかし彼が誕生して3年後に、一家はフランスを離れベルギーへと亡命します。
一家ははじめスパに住みましたが、その後はブリュッセルの居を構えます。
彼は博学であった自分の父親から文学や哲学、そして音楽の教育を受けて育ちました。
彼は16歳になるとオランダ人画家のヤン・トーロップと知り合いになり、彼とアトリエを共有するようになります。
またアンリ・ド・グルーとも出会い、彼とも親交を結びました。
この二人の友人はド・ヌンクを象徴主義の画家へと導く助言をし、彼の人生に大きな影響を与えました。
1894年に彼は文学者エミール・ヴェラーレンの義理の妹であるジュリエット・マッサンと結婚しました。
義兄となったヴェーレンは彼のことをこう語っています。
「ドグーヴ・ド・ヌンクは同国人の画家の中で最も他の画家に負うところが少なく、
(・・・)その画家としての成長段階を通じて自分自身であろうと努めてきたかのようである。
彼は隣人のアトリエを窓から覗いたりせず、自分の住まいをしっかり築いたのだ」
彼はこの義兄を通してウジェーヌ・ドゥモルデルやモーリス・マーテルランクら文学者たちと交際していくようになります。
そしてモーリスの戯曲「室内」のために、舞台装飾も手がけました。
1890年になると彼は彫刻家ロダンの勧めによりパリに招かれます。
その後、彼はブリュッセルの「自由美学」展に定期的に出品するようになりました。
1895年からは見聞を広めるために妻を伴って、ヨーロッパ諸国を周遊し始めます。
最初はイタリアのボローニャ、ミラノ、ヴェネツィアへ行き、その後の3年間はバレアレス諸島に滞在します。
1904年にはオーストリアへ、そして1907年にはフランスのコート・ダジュールとプロヴァンスへと向かいました。
彼らの諸国遍歴は1912年のスイスへの旅で幕を閉じます。
彼の神秘に満ちた夢のような風景画はこれらの国から影響を受けて生まれてきたのだといわれています。
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