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描く作品のほとんどが女性であることからわかるように、クリムトは女性をこよなく愛し、「運命の女(ファム・ファタル)」を追求しました。
その究極の形が、代表作「接吻」でしょう。
この作品は、当時タブーであった主題(官能)にも関わらず、大絶賛され、展覧会直後にオーストリア政府から買い取られました。
画面に登場する男女は、クリムト自身とその恋人であったエミーリエです。
クリムトは生涯独身を通しましたが、多くのモデルと恋仲になりました。
その彼と最も深い絆を結んだのが、このエミーリエです。
彼女は彼の弟の妻の妹でした。
クリムトは1876年に博物館付属工芸学校に入学し、その弟のエルンストとともに学びます。
彼はそこを卒業すると、弟とフランツ・マッチェとおで芸術家商会を設立し、芸術装飾を中心とした仕事をしていきました。
そして1894年にウィーン大講堂の天井画の制作を依頼されると、彼は哲学・医学・法学の三部で構成される「学部の絵」を描きます。
しかし、これら三枚の絵が大論争を巻き起こしてしまうのです。
それは、これらの絵は理性の優越性を否定する寓意に満ちたものであったからです。
論争の激化により、クリムトは報酬を返却し、契約を破棄します。
その後、この三枚の絵は個人に売却されますが、ナチスにより没収され焼失してしまいました。
この事件により、1897年に他の芸術家らとともに、ウィーン分離派を創立し、その会長となります。
しかしその後、内部対立や国の補助金停止などが起こり、クリムトはここを1905年に脱退して、その翌年にオーストリア芸術連盟を結成しました。
そして1918年にスペイン風邪をこじらせて、51歳の若さでこの世を去ります。 |