Moise Kisling

モイーズ・キスリング

フランス クラクフ出身

1891-1953

エコール・ド・パリ

 


 

 

 

”若いポーランド女性”

1928年

ポンピドー・センター所蔵

 

 

 

 

 

 

エコール・ド・パリと呼ばれた芸術家のほとんどは、幸薄い悲劇的な人生の結末を辿っています。

その代表ともいえる画家は、モディリアーニでしょう。

 

彼とキスリングは親友でした。

 

しかし、キスリングは若い頃より画家としての成功を治め、その生涯は幸福なものだったと言われています。

陽気な性格で、面倒見もよかったので多くの人に親しまれて、皆からリーダーとみなされて頼られていました。

 

彼は自分の人生を心から愛しました。

音楽家や大俳優らと積極的に交流を持ち、青春を謳歌し最後までそれを楽しんだのです。

 

彼は社交的だった上、飾り気のない寛大な心の持ち主であったため、誰からも愛されました。

これは、退廃的な生活思考を持つ、他の芸術家に比べて、かなり珍しい存在だったと言えるでしょう。

それ故か、彼は「モンパルナスの帝王」とも称されました。

 

その彼の画家としての成功に大きく貢献したのは、「キキ」の愛称で知られる魅惑的な女性、アリス・ブランです。

キキは、1921年にキスリングにモデルとして雇われました。

彼女は持ち前の美しさと妖艶さとで、「洗濯船」に集まる芸術家達を虜にし、ついには「モンパルナスの女王」とまで称されるほどの人気モデルになります。

キスリングは100枚以上もの彼女の絵を描きました。

また、ピカソやドラン、藤田らも彼女の絵を多く描いています。

それほど、彼女は芸術家たちにとって、「霊感の泉」だったのです。

 

キスリングの描く絵画は、「エナメルのような色彩」と賞賛され、事実いつ見ても、今描き上げたばかりのように新鮮です。

それは、コントラストの強い華美な色彩の放つわざなのです。

 

彼は過去の巨匠に左右されることなく、自身でこの独自の手法を確立させました。

人物画や花を主題として描いていた彼ですが、晩年は静物画を中心に描くようになります。

画面も単純で平明になっていきます。

それは絵画における究極の簡潔を目指したからだとも言われています。

 

1953年、彼は62歳でその生涯を終えますが、暖かい家庭にも恵まれていたようです。 

 


前画面へ