Fernand Khnopff

フェルナン・クノップフ

ベルギー グレムベルゲン出身

1858-1921

 象徴主義

 


 

 

”スフィンクスの愛撫”

1896年

ベルギー王立美術館所蔵

 

 

 

 

 

 

フェルナン・クノップフは、ベルギー象徴主義において指導者的存在となった画家です。

その彼は、1858年にベルギーのグレムベルゲンの大ブルジョワ階級の家で誕生しました。

幼少期は「死都」と詠われたブリュージュに住みます。

彼の地は彼の心に強烈な印象を刻みつけました。

そのため、生涯に渡って、彼の創造力にインスピレーションを与え続けることになりました。

 

1864年になると、彼の一家は首都ブリュッセルに移り住みます。

この地で彼の父親は判事になりました。

そして妹と弟が誕生します。

彼は弟妹とはとても強い絆で結ばれました。

弟のジョルジュは芸術に関して多大な影響を、妹のマグリットは彼の画の重要なモデルになります。

 

彼は成長すると、ブリュッセル大学の法科に入学します。

しかしその一方で絵画と文学に対する想いが強まっていきました。

読書に親しんだクノップフは、著名作家の書から優れた感性を発見し、インスピレーションを受けました。

そして彼の空想世界に深い影響を及ぼします。

 

1875年に彼は、クサヴィエ・メルリに師事します。

翌年にはリュクサンブール街に居を移して、美術アカデミーに入学しました。

美術アカデミーでは、ジェームズ・アンソールやジャン・デルヴィルと親交を持ちました。

1877年から79年にかけて、彼は夏の間パリで過ごします。

その間の78年の万国博覧会に出展されたギュスターヴ・モローの「出現」やバーン=ジョーンズの「黄金の階段」を見て、絵画に目覚めます。

さらに滞在中にはアングルやヴェロネーゼ、ジョルジョーネ、レンブラント、ルーベンス、ディントレット、ドラクロワらの巨匠作品に惹きつけられました。

そして彼らの作品を通して、テーマの読み取り易さや物語の平明さといった造形的な効果よりも、主題や思想が重要であると思い至ったのです。

加えて、彼はモローの作品から豊かな建築モティーフや謎めいた人物、象徴、線によって呼び覚まされる思考を学び取りました。

またバーンには、夢が現実となる信仰の業ともいうべき表現の、技巧を凝らした優雅さや精神的な気高さに魅了されました。

 

その後、彼は故郷への強い愛着を断ち切ることができず、1880年にベルギーへと戻ります。

一家はフォッセに別荘を構えました。

この村の謎めいた風景は、彼の創作の霊感源となります。

彼が22歳となった1881年に、此の地から受けたインスピレーションより、彼独自の作品を試みる機会が訪れました。

彼は「飛翔」と呼ばれるサロンに、「絵画、音楽、詩」というタイトルの作品を出品しました。

この作品は熱狂的に迎えられはしなかったものの、既に心の内なるものに対する関心の芽生えが認められました。

 

1883年に彼は独立した芸術家らと「二十人会」というヨーロッパの前衛芸術の中心となるグループを結成しました。

そしてこの年、「フローベルと共に」というタイトルの象徴主義の絵画を初めて描きます。

この作品には、彼の文学に対する深い傾倒が見られ、彼の評価は徐々に高まっていきました。

翌年2月には「二十人会」の第1回目の展覧会が開催されました。

この年の5月、彼はパリを訪れ、魔術師であるジョゼファン・ペラダンと知り合い、彼の著した小説の扉絵を描くことを依頼されました。

1890年にパリ万国博覧会が開かれ、このときに彼は写真に興味を持つようになりました。

彼の作品「記憶」には艶やかな光沢にその影響が認められます。

この時期、彼は「二十人会」の催す展覧会に毎回出席し、主にポスターを描きながらこのグループと関係を深めていきました。

しかしこのグループとも関係は終焉へと向かいます。

1893年の第10回の「二十人展」に彼は参加をしませんでした。

その後、グループは解散し、新たに「自由美学」という名のグループが誕生しました。

クノップフは1897年にこのグループや他の展覧会に度々出品しました。

 

1898年にはウィーンで認められます。

グスタフ・クリムトの指揮のもとで「ウィーン分離派」の第1回展覧会が開催されたとき、その一室がクノップフの作品で埋め尽くされたのです。

自己の芸術の頂点に達したクノップフは、絶大な人気を博し、その成功によって1894年に「ミュンヘン分離派展」で得た評価を揺るぎないものにしました。

クノップフはその後、様々なサロンや展覧会を通してブリュッセルやウィーン、ミュンヘンの他、パリやロンドン、ヴェネツィアでも高い評価を得ます。

 

1902年には、彼の自我の神殿として知られる邸宅兼アトリエ(現在は消失)が完成されました。

そしてこの年にブリュージュに捧げる為の素描を完成させました。

これらの作品は彼の特徴が充然に示されています。

絶えずつきまとう過去の記憶や創造的な意味、そして主観的な印象、孤独、抑制、さらには内面世界の描写、体験的真実、詩的情感が表現されているのです。

彼は作品を通して自分のメッセージを伝えたのでした。

彼の観念論的な思考は「絶対的なもの」の具現化として結びついています。

作品は不可思議なもの、神秘的なものが刻まれています。

また線やデッサンによって表現される思考のリズムを追求しています。

クノップフは次代を担うシュルレアリスムを予見していたのです。

 

クノップフの作品は、彼の内省と孤独が刻みつけられた様々な記憶が混在する神秘に対する思考から生み出されました。

それは言いかえれば、彼がその時代の不安や恐れの証人であり、夢想と静寂への扉を開けることのできた偉大な芸術家だということなのです。

 


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