William Holman Hunt

ウィリアム・ホルマン・ハント

イギリス ロンドン出身

1827-1910

 ラファエル前派

 


 

 

”シャロットの女”

1905年

ウォズワース・アテネウム所蔵

 

 

 

 

 

ウィリアム・ホルマン・ハントは、19世紀中葉の英国の画壇を席巻したグループ「ラファエロ前派」の創始者の一人です。

彼は、1848年に、思想家であり美術批評家でもあったジョン・ラスキンの信仰に基づいて、ミレイやロセッティらとともにこのグループを結成しました。

ラスキンの信仰――それは「自然をありのままに再現すべき」とういうものでした。

しかし、この派のグループは、画壇の主流となったものの、明確な理論を持たなかったため、長くは続きませんでした。

1853年に、派の代表者の一人であるミレイがロイヤルアカデミーの準会員になったことで、グループは解散します。

そしてグループに属していた画家らは、それぞれが独自の画の道を歩み始めました。

そんな中、ホルマン・ハントは、最後の最後まで派の特色を保ち続けた作品を創作し続けたのです。

 

そのハントは、幼少より、絵の勉強をしていた、という訳ではありません。

彼は、1827年にロンドンの中産下層階級に生まれた一般市民でした。

会社の事務員として働きながら、絵の勉強を続け、1844年にロイヤルアカデミー美術学校に入学します。

3度目の挑戦で、ようやっと念願がかなったのです。

 

彼の初期作品は、文学と聖書を題材にしており、またジョン・キーツの詩にも着目しています。

しかし彼の描く作品は、同時代の他の画家の作品と異なっていました。

戸外の光や大気の効果を正確に捉えるために、直接自然を前にして背景を描いていたからです。

その顕著な作品の例が、「迷える羊−わがイングランドの海岸」です。

この作品は、他に類のない、ラファエル前派の画法によって描かれた純粋な風景画でした。

 

また、彼は、その生涯において幾度か聖地パレスチナを訪れました。

それは、聖書の史実に基づいた地理的環境で、キリスト教を主題にした絵画を描くのが目的にあったからです。

彼は、その地で、水彩による風景画を描き、そして何点かの大型の油彩画の創作を手掛けました。

これらの作品は細部を入念に描き込む技法を用いたため、完成までにかなりの時間を要しました。

後半生は、宗教画の制作を続けながら、文学から着想を得た作品も描くようになります。

 

ハントは、ラファエロ前派の原理に最も忠実であり続けた画家でした。

晩年、彼は、同時代の美術学校がいかに改革されねばならないかを最初に理解したのは自分である、と主張しています。

 


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