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ジャン=ジャック・エンネルは、19世紀に活躍したアカデミーの伝統を生涯重んじ続けた画家です。
その彼は1829年に、フランス東部アルザス地方のベルンヴィラーの農家で生まれました。
幼い頃から絵が好きだった彼は、近隣の町にあったアルトキルシュ学校の美術教師のもとで最初のデッサンの手ほどきを受けます。
その後はストラスブールへと出て、画家ガブリエル・ゲランのもとで典型的なアカデミー教育に接しました。
1846年から1851年の間は、パリでドロリングのアトリエに在籍し、次いでピコのアトリエに移ってアルザス地方の風俗を描いた作品や肖像画を多く制作します。
1858年に彼は「アベルの遺体を見つけるアダムとエヴァ」でローマ賞を獲得しました。
そして1859年から1864年まで給費留学生としてローマに滞在し、そこでイタリア・ルネサンスの画家たちの研究を重ねます。
特にティツィアーノ、コレッヅオ、カラヴァッジオらの作品に深い影響を受けました。
またヴェネツィア派絵画に見られる風景表現にも強く関心を抱きます。
イタリアから戻った後は、パリに居を構えました。
以降、彼はこの世を去るまで、画家として栄誉に満ちた人生を送ります。
1865年から彼は作品「スザンヌの貞節」をはじめとして、サロンに出品し始めました。
毎年、1、2点の肖像画とともに、宗教、神話主題の作品を送り続けますが、これらの作品群は好意的な批評を受けます。
けむるような独特の色彩は、どの作品にもきわめて特徴的なエンネルの様式を刻み込んでいました。
とりわけ神話主題の作品「ビブリス」「水の精」などは、故郷アルザス地方の風景に裸婦の姿を配した牧歌的な雰囲気に満ちています。
それは彼が次第に象徴主義的な趣を増していったことの表れでもありました。
1870年の普仏戦争敗北によって、故郷のアルザスは隣のロレーヌと共に、ドイツ領に編入され、彼は深い悲しみに捉われます。
彼は、その故郷喪失の悲しみを表した作品「アルザス」を、1871年にサロンに出品しました。
これより後、彼の作品には瞑想的な傾向を持つ主題が多く現れてきます。
その代表作例が「マグダレーナ」や「死せるキリスト」の連作シリーズです。
特に「死せるキリスト」は、ホルバインの有名な「死せるキリスト」やグリューネヴァルトの作品の強い影響下に構成されました。
作品には、アルザス人としてのエンネルの出自が強く示されています。
画家エンネルは、1873年、1878年、1898年、1903年と、4度に渡ってレジオン・ドヌール勲章を受章しました。
また1873年にはサロンの審査員、1889年にはアカデミーの会員に選ばれます。
1905年、76歳のときに、彼は公的名誉に包まれて生涯を終えました。
彼の没後は、パリの邸宅が多くの作品とともに国に寄贈され、国立エンネル美術館として公開されています。
国立エンネル美術館公式サイト→http://www.musee-henner.fr/home
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