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アンリ・ファンタン=ラトゥールは印象派の画家たちと親しい間柄であったのにも関わらず、その派に属さなかった画家です。
その彼は1836年にフランスのグルノーブルで誕生しました。
そこで肖像画家であった父から絵画の手ほどきを受けます。
その後、家族とともにパリへ移住し、1851年頃から視覚的な記憶に基づく独特の絵画教育を行うルコック・ド・ボワボードランのアトリエで学びます。
1854年には国立美術学校にも短期間ですが、在籍しました。
しかし彼の本当の学び場であったのは、ルーブル美術館でした。
彼はそこでヴェネツィア派をはじめとする巨匠たちの作品を多く模写しました。
1850年代から60年代にかけて、マネやルグロ、ブラックモン、ホイッスラー、そしてクールベたちと知り合い、新しいレアリストの世代を形成します。
サロンには1859年から出品し、この年と1863年に落選した以外はすべて入選を果たしました。
その彼の主要作品は、1864年制作の「ドラクロワの礼讃」、1870年制作の「バティニョルのアトリエ」、1872年制作の「テーブルの片隅」と大きく3つに分かれます。
これらは知り合いの芸術家たちを等身大で描いた集団肖像画で、サロンで大きな話題となりました。
彼は静物画も多く描きましたが、これは経済的な支えとするためものだったため、多少量産気味となっています。
しかし、それでも洗練された色彩感覚と熟達した技法を顕著に表わした作品群であることは間違いありませんでした。
この静物画はイギリスで大変よく売れました。
後半生になると、彼は写実的な肖像画、静物画に加えて、寓意的、空想的な作品を制作するようになります。
特にシューマン、ワグナー、ベルリオーズなど偏愛した音楽家の作品をテーマにした作品からは、象徴主義と近しい関係にあったことがうかがわれます。
1860年代にはカフェ・ゲルボワの集まりで印象派の画家たちと交流するようになりますが、彼は印象派展には参加をしませんでした。
それは彼の温和な性格が過激な行動を嫌っただけでなく、作品の主題や表現様式においても派と比較して伝統的であったからです。
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