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ラファエル前派の女流画家であるメアリー・イーヴリン・ド・モーガンは1855年にイギリスのロンドンで生まれました。
彼女は成功した法律家の娘として裕福な家庭で育ちます。
また彼女はラファエル前派の画家ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップの姪でもありました。
彼女はその叔父のスタナップから画家になるように励まされ、子供のときに彼から個人レッスンを受けます。
その後サウス・ケジントン・スクールに入学し、さらに画家になることを志してスレイド美術学校へ進みました。
そして1876年にはイタリアで美術の勉強を始めます。
ここで彼女はイタリア・ルネサンスの画家たちから大きな感銘を受けました。
とりわけてボッティチェッリに強く傾倒します。
彼から多大な影響を受けた彼女は、その後、スレイド美術学校が好む古典的テーマから離れ、彼女自身のスタイルを作っていくことになります。
それは彼女の描く作品にその技法や主題の選択が顕著に示されています。
その絵画制作の絶頂期には正確な細部描写と神話的主題に対する著しい好みが明確に表現されました。
これは部分的には叔父のスタナップの影響とされています。
実際彼女は1880年にトスカーナ地方に移り住んでからは、彼の家で制作をしています。
また親友であったバーン=ジョーンズからも影響を受けました。
彼女の画家の仲間たちは彼女について非常に高く称賛しています。
ウィリアム・ブレイク・リチモンドは彼女について次のように語りました。
「彼女の勤勉さは驚くべきものだった。彼女が絵の中のあらゆる細部に対して入念な研究を行っていたことを考え合わせると、彼女が成し遂げた仕事量は驚嘆に値する」
1876年に彼女はダドリー・ギャラリーに出品します。
またその翌年には新しく開設されたグローヴナー・ギャラリーから出品を依頼されました。
そしてその年に展示された「ナクソス島のアリアドネ」は批評家から賞賛されます。
彼女はグローヴナー・ギャラリーの主要な出品画家として1888年まで作品を発表し続けました。
その後、後期ラファエル前派の画家たちやバーン=ジョーンズらとニューギャラリーに移り、1901年まで作品を出品し続けます。
また第一次世界大戦中に赤十字の活動を支援するために自分の作品の展覧会を開催するなどの慈善活動も行いました。
私生活においては、彼女は1887年にデザイナーで陶芸家のウィリアム・ド・モーガンと結婚します。
彼らはチェルシーに住居をかまえましたが、制作の基盤となったフィレンツェにたびたび訪れました。
彼らは新しい絵画技法の実験を行い、絶えず力強くて装飾的な色彩表現の方法を探究しました。
イヴリンとウィリアムは深い心の絆で結ばれていた夫婦だったと言われています。
1917年にウィリアムが亡くなると、その2年後にイヴリンもこの世を去りました。
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