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フランシス・バーナード・ディクシーは1853年にイギリスのロンドンで生まれました。
彼の家族はロンドンのブルームズベリを拠点に活動した芸術家たちの一家族でもありました。
彼は父親からアトリエで「絵を描かなかったときを思い出せない」ほど絵画の教育を受けて育ちます。
そして18歳になると、彼はロイヤル・アカデミー美術学校に入学し、そこでラファエル前派の巨匠であるミレイとレイトンから指導を受けます。
その後はヘンリー・ホリデイとともにステンドグラスを制作しはじめ、また書物や雑誌の挿絵を描くようになります。
彼はこれらのデザインのいくつかを絵画に仕上げて、1876年にはアカデミーで展示を開始しました。
1877年にはその展示した作品の「ハーモニー」がチャントリー基金で買い上げられ、彼の名声は確立します。
彼は文学や宗教、そして現代生活のアレゴリーなどと幅広い主題の絵画を制作しました。
それらは版画として複製され、広く世間に知れ渡るようになります。
また彼は数多くの上流階級の肖像画や風景画も描きました。
彼は非常に長い期間アカデミーと関係を続けた画家でもありました。
アカデミーの学生には「可能な限り文学から役立つものを得るように」と説きます。
また同時に「芸術は自然を参照することによって導かれ、美の理想に支えられるべきである」という主張もしました。
画家としての地位と名声を極めた彼はアカデミーの会長に就任するまでにいたります。
しかし台頭してきたモダニズム全てを頑なに拒んだり、率直な物言いをする性格が災いして、次第に孤立していってしまったといわれています。
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