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アンドレ・ドランはフォーヴィスム(野獣派)の画家の一人です。
その派の中でも彼は指導者的な立場であったため、近代絵画史において重要な人物とみなされています。
彼の画風は、点描を用いた技法からキュビズム風の静物画と幅広く、主題もまた風景や人物、そして静物と実にさまざまです。
それは彼が、新しいものを常に取り入れようとする画家であったからなのです。
そうした彼の画歴は、1898年のアカデミー・カリエールに入学したところから始まります。
彼はここで後に近代絵画の巨匠となるアンリ・マティスやマルケと知り合いました。
1900年にはモーリス・ド・ヴラマンクと出会います。
生地シャトゥーからパリへ帰る列車内で、偶然に自分のすぐそばにヴラマンクが座ったのです。
運命の出会いです。車内ですっかり意気投合した二人は、やがてシャトゥーに共同のアトリエをかまえ、一緒に制作するようになります。
1901年にドランは従軍することになりますが、1904年には復員します。
このときまでに彼は色彩を洗練させただけでなく、仲間たちの相互影響から強烈さまで増すようになりました。
1905年にはマティスとともにコリウールに滞在し、制作活動を行います。
地中海に面した港町コリウールの豊かな色彩は2人の画家の作風に決定的な影響を与えました。
1905年末から1906年はじめにかけては、ロンドンに滞在し、テムズ川沿いの風景などを描きました。
1908年にはシャトゥーからパリへと移り、今度はピカソやブラックらと交流を持ち、キュビズム理論との接点を持ちます。
この時期に彼は黒人彫刻など新趣向の数々を取り入れたりもしました。
1911年にはパリのモンマルトルを引き払います。
著名な画商ポール・ギョームとの仕事が始まったのもこの頃です。
1916年にギョームは彼の個展を開きました。
彼との関係は画商が亡くなるまで友好なまま続いたようです。
1919年になると、創作活動の幅を広げ、バレエ舞台装置をデザインを手がけるようになります。
そして晩年にいたるまで、オペラ衣装や舞台装飾にまで手を広げました。
またその他にも挿絵や彫刻の制作もしました
1920年代を迎えると、それまでの「ゴシック期」と呼ばれていた古典的な画風から作風が一変します。
アカデミックな作風になり、古典的な陰影や遠近法を用いて、落ち着いた色彩で静物や人物を描くようになったのです。
1935年にはシャンブルシーに移住し、以降はごく少数の友人以外との接触を避け、最後まで孤独に制作活動をし続けました。
常に新しいものを取り入れながらも、古いものも捨てなかったドラン。
またときとしてそれを混在させたこともありました。
ドランはそうして己の作風をさまざまに変化させていったのです。
そのため彼は、”折衷主義画家”とも呼ばれているそうです。
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