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古典主義の巨匠フェルナン・コルモンは1845年にパリで劇作家の息子として生まれました。
成長すると彼は1863年にパリの国立学校に入学します。
初めは歴史画の大家アレクサンドル・カバネルに指示していましたが、後にはオリエンタリズムのウジェーヌ・フロマンタンにも学びました。
コルモンは早くから美術家としての才能を発揮し、発表する作品のほとんどに賞を授与されます。
1868年には「マホメットの死」がサロンに初入選し、次いで1870年には「ニーベルンゲンの婚礼」で3等賞メダル、1873年には「シータ」で2等章メダルを獲得しました。
そして1874年には「後宮の嫉妬」が国家買い上げとなります。
またその翌年サロンに出品した「ランカーの王ラーヴァナの死」は、大賞を獲得し、その副賞としてローマ留学の権利を得ました。
しかし、彼はこれを断り、代わりにチュニジアへ赴いたのです。
それはこの時期、彼がオリエントを舞台とした異国情緒あふれた歴史画の大作の制作を手がけていたからですした。
宗教画も多く描きました。
1877年のサロンには「ヤイロの娘を蘇らせるキリスト」を出品し、1880年のサロンには「カイン」を出品しました。
この作品「カイン」は、フランスの偉大な作家ヴィクトル・ユゴーの長詩「諸世紀伝説」を元に、聖書創世記の光景を原始人として描き出した大作です。
この作品によって彼は歴史リアリズムというべき画風を確立しました。
本作品はまたしても国家買い上げとなってリュクサンブール美術館入りになり、画家本人にはレジオン・ドヌール勲章オフィシエ章が受章されました。
この時期以降から、彼の制作の中心は公建築の装館画へと移ります。
1878年のパリ第4区区役所結婚の間の「結婚の寓意」「慈悲」「教育」、1898年の自然史博物館の装飾画の「狩」「猟」、1901年のパリ市庁舎文学の間の「書くことの歴史」、
1911年のプティ・パレの天井画の「原始パリの情景」「フランス革命」「近代」などが、その代表的な制作例です。
この公建築の画の制作をしている一方で、また風俗画や肖像画も描いていました。
美術家としての名誉も欲しいままでした。
1898年にはアカデミー当選、1899年には国立美術学校教授就任、1912年にはフランス画家協会会長就任と公的画家として頂点にまで上り詰めたのです。
また彼の門下生にはロートレックやゴッホ、そしてベルナールらなどがいました。
日本人留学生もおり、日本近代洋画を代表する山下新太郎や藤島武二らが彼に師事しています。
画家として生前から高い評価を受け、最高の地位を獲得した彼は1924年に交通事故でなくなります。
死後は印象派の台頭等により急速に忘れられてしまったいったそうです。
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