ART INVITATION Part.1
天秤を持つ女
ヨハネス・フェルメール
 
ヨハネス・フェルメールはオランダを代表する17世紀の画家である。
彼の代表作「真珠の耳飾りの少女」は「西洋のモナリザ」と讃えられて世界中から愛されている。
日本でも人気の高い画家であり、幾度も彼の作品の展覧会が開催された。
しかし、その彼の現存する作品は30数点と少ない。
この画家が若くして亡くなってしまったことや寡作であったことが一因であるが、何よりもその彼の生涯が謎に包まれていることが起因となっている。
生涯を生地デルフトから出ることはなかったと言われているこの画家の画風は自身の人生同様謎めいた魅力に満ちており、世界中の人々の心を強く惹きつけて魅了し続けている。
その数少ないフェルメールの作品を実際に何点か目にする機会に恵まれた。
どの作品も何気ない日常生活の一瞬の場面を描いた画だったが、何故か鮮烈に心に焼きついた。
圧倒的存在感を放ち、心を捉えて離さなかったのである。
その彼のミステリアスな作品の中で最も好きなのがワシントン・ギャラリー所蔵の「天秤を持つ女」だ。
残念ながら実物を見たことは、ない。
画面にはほの暗い室内の中で一人の女性が天秤を持って佇んでいる姿が描かれている。
女性は頭髪を一筋も見せずに白い頭巾を綺麗に被っており、またゆったりとした簡素な衣装を身に着けていて、まるで修道女のようである。
女性は窓から洩れる明かりを頼りに自身が手にしている天秤を静かに見ている。
その表情は聖母のごとく穏やかで慈愛に満ちており、我が子を見ているかのような視線を天秤に注いでいる。
天秤は今、均衡が保たれている。
女性は天秤が揺れぬようテーブルにそっと左手を置いて身体を動かさないようにしている。
一体何を計っているのであろうか?
テーブルの上には蓋の開いた箱があり、そこから零れ落ちるようにして神秘的なきらめきをした真珠の首飾りがある。
またむきだしになった金貨も何枚か置かれている。
女性はこれらを秤にかけているのだろうか。
だが天秤の上には何も乗っていない…。
女性の背後には荘厳で重厚な絵画が掛かっている。
キリスト教の題材の一つである「最後の審判」を描いた画だ。
世界の終わりのときに、天使が人間の魂を秤にのせて罪の重さをはかっている様子が描かれている。
女性の頭部で隠れている部分には、本来は大天使ミカエルが魂を計っている姿があるのだが、それがこの修道女のような女性と重なっていて見えない。
まるで天使が女性の姿となって絵画から抜け出したかのようだ。
この画を見ていると何故か心に静けさが広がっていく。
穏やかで温かい眼差しを秤に向けながらそれを持つこの女性の姿が、心中を静謐な気持ちにさせるのだ。
実に不可思議で魅惑的な絵である。
女性は何を計ろうとしているのか。
そして何故慈しみに溢れた表情で何も乗っていない天秤を見つめているのか。
知りたい――。
「天秤を持つ女」に会って尋ねてみたい。
行ってみようか、米国の首都ワシントンへ――。


*「天秤を持つ女」 ヨハネス・フェルメール作 1663年-64年 ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵
以前は「金を量る女」というタイトルであったが、詳細な調査の結果、女性が持つ天秤には何も乗せられていないことが明らかになったため、「天秤を持つ女」と改題された。


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