ART INVITATION Part.3 | ||
盲目の娘 | ||
ジョン・エヴァレット・ミレイ | ||
人はふとしたことがきっかけで、その事象に多大な関心を持つようになる。 幾たびも書いたが、19世紀英国の画家ジョン・エヴァレット・ミレイなる画家に興味を抱くようになったのは、名画「オフィーリア」を観賞したことからである。 以降、ミレイに関する書物を読み漁っていった。 そして彼の画集を見ていたときに、ある一枚の絵に惹きつけられた。 美しい草原の中にいる二人の少女が描かれた画である。 タイトルは「盲目の娘」。 その絵を見た瞬間、きらきらと黄金色とみまごうほどに輝く牧草地が目に飛び込んできた。 はるか向こうの地には、天に向かって勢いよく伸びていくかのような鮮やかな2つの虹が見える。 画面手前には、二人の少女が描かれている。 一人は瞳を閉じたまま顔をあげており、もう一人はその娘に寄り添うように身を預け、彼方にある虹を見ている。 二人の少女の身なりは実に貧相だ。 纏っている衣服は、ぼろぼろで泥にまみれている。 目を閉じている少女の膝の上にはアコーディオンが一台ある。 この少女は、タイトル通り「盲目」であり、傍らにいる妹とともにアコーディオンを奏でながら生計を立てているのだ。 その道中、通り雨に襲われたのである。 画面はその後の雨上がりの情景を描いている。 画風は落ち着いているのに、強烈に心に食い込んでくるインパクトのある絵だ。 背景の牧草地はともかく、二人の少女たちは一目で不幸な環境にいるのがわかるほどみすぼらしいが「美しく」見える。 さらには惨めさも感じず、「神々しい」印象すら受け畏怖さえ抱く。 それは簡素な聖母子像を観賞している感覚に似ていた。 もっと正確に書くと、名もなき質素な仏像を見て、自然に手を合わせてしまうような心持ちになるのだ。 「清貧」という言葉が脳裏に浮かび上がり、神の恩恵なるものが伝わってくる。 天はすべてのものに対し平等である。 すべてのものの上に雨は降り、そして太陽は輝く。 金持ちにも貧乏人にも目が見えるものにも見えないものにも。 目が見えないからこそ、そして薄幸であるからこそ、その営みに深く感じ入ることができるのだ。 我々が常に忘れがちな大切ことを。 農民ではなく、通りがかりの「盲目の娘」を描いたことにこの絵の本性がある。 牧草地とそこで働く人々を描いた画であれば、単なる「綺麗な風景画」で終わる。 世界の底辺で生きる人間を描いたことで、作品が神聖化したのだ。 「盲目の娘」には、雨雲の去った後の光輝く太陽も牧草地も虹も見えない。 しかしその閉じられた瞳には、実際に我々が見ている世界よりもはるかに美しい情景が繰り広げられているのだ。 この「盲目の娘」の見ている世界が見たい。 閉じられた瞳に映る世界を知りたい。 知る限り本作の来日の記録はない。 作品の所蔵先はバーミンガム(注1)市立美術館。 ラファエル前派の作品を多数所有している英国の美術館である。 いつかやって来るだろうか、「盲目の娘」は。 それとも三度行ってみようか、英国へ。 「盲目の娘」に祈りを捧げに。 黙祷したい、この絵の前で。 *「盲目の娘」 ジョン・エヴァレット・ミレイ 1854年ー56年制作 バーミンガム市立美術館所蔵 ミレイが妻のエフィーをモデルにして描いた作品。 1857年にリヴァプール・アカデミーの年間最優秀賞を受賞し、多数の美術関係者から称賛された。 ・ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(注2)評 「私の知る限り、最も感動的で完璧な作品の一つ」 ・ジョン・ラスキン(注3)評 「この共通地はかなり広い牧草地で草が伸び放題になっている。 そしていまそこを貫いて走る公道の傍らに盲目の娘がしばらく腰を下ろして休んでいる。 彼女は単なる乞食で詩的なところもないかわりに身持ちの悪さも感じられない。 顔付は至って平凡だが、健康そうな18か20くらいの娘である。 いま彼女は休んでいるが、それは疲れたからではない。 雨足が途絶えて一瞬太陽が顔を見せたため、あたりの草の香りが快く彼女の鼻をくすぐるからである。 激しい雨は過ぎ去ったが、はるか彼方では今なお降りしきっているのだろう。 遠ざかっていく暗い雷雲を貫いて色鮮やかな2重の虹が天駆ける。 しっとりと濡れた牧草がまぶしい陽の光を照り返している。 娘の傍らの青い草は鍬形草の花を象嵌したビザンティン時代のエマイユのように光り輝いている。 彼女は濡れた睫の間から漏れる僅かな光を頼りに頭をめぐらし、その仰ぎ気味の顔に陽の光を浴びている。 物乞いの粗末な楽器をのせた膝にはもう一人の少女がもたれかかっている。 少女は娘の半分ほどの歳だが、彼女の手を引いて歩いているのである。 しかし太陽も雨もこの少女にはどうでもよくて、ただじっと待っているのが退屈なだけのだ」 *注1 英国のほぼ中央に位置する都市。ロンドンから鉄道で一時間二十分の地。 *注2 19世紀英国の画家。ラファエル前派創始者の一人。 *注3 19世紀英国を代表する評論家・美術評論家。 |
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